六代目ブログ

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私のオヤジと三浦太鼓店のはなし。

こんにちは、六代目彌市です。

 

昨年末、私のインフルを発端に( ;∀;)

 

我が家は、母、三男、五代目親父、

妹、、、

 

と、

みごとに順番に広がっております😢

 

みなさんのご家庭は大丈夫でしょうか、、、

 

でもって、もっと大変な事態に、、、

 

五代目親父が、

1月1日からインフルを発症して

毎年、必ず一緒に行ってきた

豊川稲荷への初詣も、

1月4日からの仕事はじめにも顔を出せず、、、、

 

ようやく復活してきたと思ったら、、

 

変な「咳」をするようになって、

 

精密検査を受けた所、なんと「肺炎」と診断。

 

入院は免れたものの、

毎日、病院に通って抗生物質の点滴を
受けております。

 

顔色も悪くてフラフラしてます( ;∀;)

 

今月は、

いよいよ来週から始まる東京展示会の事や

今年も行きます小豆島「ヤマロク醤油」さんへの大桶作りや、

 

新しい1年のスタートで

今年予定しているたくさんの「事業」の

打ち合わせなどバンバン!ある中

 

肝心かなめの五代目の不在、、、

 

これは年始早々いろんなコトを

試されているように感じるのです( ;∀;)

 

実は、

今年2月の役員会を持って

事実上、五代目は「退職」を迎える年なのです。

 

昭和30年生まれなので今年で64歳。

 

もちろん!

今の60代はまだまだバリバリ元気に

働ける年なので、

 

役としては退きますが、

「健康」な身体であれば70、80になって

 

こきつかって働いてもらおうと思ってます( ;∀;)

 

と、同時に

やはり少しずつ「役割」を若い世代へと

引き継ぐ準備をしていかなければならない、、、

 

そう思っていた矢先の出来事でした。

 

今日は、少し三浦太鼓店の過去と言うか

オヤジの育ってきた「環境」と「今」の違いを

話そうと思います♬

 

これが親父の子供の頃の写真↓↓

今も西尾に住んでるお姉さんと2人兄弟

 

幼いころから親父のお父さん、

私で言うおじいちゃんが太鼓屋をしてましたが

 

おじいちゃんは体の弱い人で

ずいぶんと病気がちな時が多く、、、

 

小学校の頃から仕事は手伝っていて、

中学に入るころには、ほぼ一通りの仕事が

できるようになっていたそうです。

 

これがおじいちゃん↓

 

私が小学校1年の時にじいちゃんは

他界したのですが、

 

やはり、

じいちゃんが太鼓を作っている記憶はなく、

寝たきりの状態の記憶しかありません。

 

 

そんな子供時代をすごしてきた

オヤジは、

 

2つの大きな役割りがありました。

 

それは代々続いてきたこの「太鼓屋」という

 

「仕事」を守るコトと、

「家族」を守るコト。

 

当時、かろうじて地域の祭り関係の仕事を

ポツポツとつなぐような時代背景だったので

 

「太鼓屋」だけで生活できる

状況ではなく、オヤジは高校卒業と同時に

地元の製薬会社へ就職。

 

サラリーマンをやりながら

土日の休みの日をつかって「太鼓屋」を守るという

選択をしました。

 

 

なので、私の幼い頃の親父の記憶というのは

 

「太鼓職人」じゃなくて「会社員」なのです。

 

平日は、会社員

唯一の休みは太鼓屋。

 

365日ほぼ休みがない状況で

働き続けていたので、

 

休みの日にオヤジとどっかに行ったりとか

いう子供の頃の記憶はあまりありません。

 

そんな状況を

50歳直前までずーーっと続けてきたのです。

 

時代は変わり、

今では2011年三浦太鼓店は法人化し

 

この年にはじめて家族以外の人を雇ったのが

そう、しろちゃんなのです↓

 

それまではずっと「家業」としての家族経営。

 

そこからたった一人でも

外部から人が入ったことで、、

 

それまでの「家業」から「事業」への

転換が求められるようになっていきました。

 

それは、10人に増えた今でも変わりません。

 

 

私はそれぞれ、生まれた時代の環境や背景

 

タイミングだったり、役割って

当然違うと思うんです。

 

例えば、

オヤジが太鼓職人になったのは

受け継がれた伝統や家族を「守る」ためでした。

 

決して、太鼓作りそのものに
憧れたわけじゃないのです。

 

例えば、

私が太鼓職人として「今」大切に思うのは

 

あたらしい時代の世の中に

感動的な価値を創造し続けるために、

 

自分自身が「伝統工芸師」や「人間国宝」になることじゃなくて、

 

人を育て、「チーム」や「組織」を育てて

たくさんのチカラを借りてチャレンジすること。

 

そう、私にとっては

受け継いだ「家業」を「事業」にすること

そのものが、

 

日々の太鼓作りの技術を高めるのと同じだけ

大切なコトなのです。

 

モノを作れば売れる時代に生まれていれば、

 

私は自分自身の「技術」を愚直に

突き詰める事だけに集中していたでしょう。

 

でも、今はそういう時代じゃないのです。

 

自社に人を雇わなくても

外部に優秀な職人がいれば、

 

その人のチカラを頼ればよかったのですが、

 

残念ながら、優秀な職人ほど

「後継者」もいなければ年齢も「高齢」なのです。

 

そういう時代に生まれて、

そういう時代のオヤジの姿を見てきたからこそ

 

私はこの太鼓屋を「守る」ために

「家業」から「事業」にするという決断をしました。

 

そう、オヤジがちょうど

「会社員」しながら「守る」と決断をしたと同じことなのです。

 

そう考えると、ますます

私に求められる役割は「経営者」としての資質だと思うし

 

その為には、

太鼓作りに必要な「技術」や「知識」と同時に

組織を発展させるリーダーとしての学びをし続ける必要があると思ってます。

 

 

あんな事や、こんなこと、

なんで太鼓屋がそんなことまでしてるのかなって

 

時に疑問に思われるようなことまで

私がやるのは、

 

すべては自分自身がそれを「必要」と感じているからなのです。

 

とは言え、

まだまだ親父の存在は偉大で、、、

 

できるだけ長く元気に働いて欲しいのです。

 

平成最後と騒がれる今年は

私も30代最後。

 

いろんな事がさらに大きく変わっていく

時代に突入したようです。

 

まだまだ未熟モノですが、

皆さんと一緒に精進させていただきたいので

 

今後ともよろしくお願いします♬

 

今日もステキな一日を(^_-)-☆

この記事を書いた人

  • 三浦 和也(六代目彌市)

    三浦 和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

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