六代目ブログ

修理・張替

伝統発信ブログ

モノは順繰り、恩返しより恩送り。

こんにちは、六代目彌市です。

 

昨日、テレビ番組『奇跡体験!アンビリーバボー』で

廃業危機から起死回生の復活劇!としてご紹介されていた群馬県にある『下仁田納豆店』の物語り。

何度も再放送されている物語りなので、ご覧になられた方も多いのではないでしょうか?

 

ご覧になられてない人のために、簡単にあらすじをお話しすると、

 

 

今から、約30年前

父から廃業寸前の納豆店を引き継ぎ『再建』へ向けあらゆる手を尽くすも八方ふさがりの日々。

 

そんな納豆店の危機を救い、手を差し伸べ救ってくれたのが『もぎ豆腐店』の店主、茂木稔さんだった。

 

物語りは、茂木さんがなぜ?

八方ふさがりの若者を、納豆店に手を差し伸べたのか?

 

というストーリーなのですが、

ここには『恩送り』というキーワードがありました。

 

実は、私自身がこの『太鼓屋』という仕事を継いだ若い頃、

この物語りと本当に似たような経験をしたので、

 

あの頃の自分の経験と、今回の物語りが重なってしまい( ;∀;)

決して忘れてはならぬ感謝と、

自分自身への戒めも含めて今日はお話ししたいと思います。

 

モノは順繰り、恩返しより恩送り

 

 

私が、この太鼓屋という道を歩み始めたのが今から25年前。

 

19歳のときでした。

 

 

よく、この仕事をしていて勘違いされるのが、

小さい頃から『跡継ぎ』さんと決められていたんでしょ!

 

『伝統』という家業なので、そう思われがちですが、

決してそうではありませんでした。

 

 

1865年創業の我々三浦太鼓店は、間もなく創業160年を迎えるのですが

その長い歴史の中でも、特に!

五代目オヤジや更にその先代の祖父の時代が商売としては非常に厳しい時代だったんです。

 


・太鼓の上は五代目、パンツ一丁姿は祖父

 

商売として厳しいというのは、

単純に「仕事が少ない」ということで、

五代目のオヤジは自分の家族を養う事を優先した結果、

 

家業である「太鼓屋」1本では家族を養えないと判断し、

サラリーマンをしながら、かろうじて休日を使いながら伝統の灯を絶やさぬようにと太鼓屋の仕事を繋いでくれていました。

 

今の時代の表現を使うなら、

・本業サラリーマン

・副業太鼓屋さん

 

みたいな感じです。

 


・家族と家業をサラリーマンをしながら守り続けた五代目オヤジ。

 

 

そんな五代目の背中と環境を見てきた

私たち子どもたちは、

 

当然、

将来「太鼓屋」になるんだ!とも思わないし

将来「太鼓屋」になりたい!とも誰も思いませんでしたので、

 

私も、一つ上の兄貴も、そして弟も

高校卒業し、社会に出るというタイミングでそれぞれ

やはり家業は継ぐことなく「サラリーマン」という選択をしたのです。

 

当時の自分を振り返ってみると、

特にやりたいこともないし、

なりたい夢もないし、

 

とりあえず、学校の先生と親が

ここの会社なら地元だし!安定しているからいいんじゃないか?

 

そう言われ、

自分で決めたというよりも、

 

親と先生に決めてもらった、、

というぐらい「不純な動機」で社会に出てしまった超がつくほどの

 

未熟者( ;∀;)だったのので、

当然「社会人」としての

 

自覚もない、

責任感もない、

やる気もない、、、

 

「ないない」ばかりでしたので、

当然、会社に馴染むことができず、、2年足らずで逃げ出すことに、、、、

 

ただ、仕事もせずにフラフラしてても

オヤジに怒られると思ったので、

 

太鼓屋の仕事手伝うから、会社を辞めさせてほしい、、、

そう言って、なんとも不純な動機でこの世界に足を突っ込んだのでした。

 


・不純な動機で、この世界に入った若かれし頃のわたし。

 

 

当時は、先にもお伝えした通り

オヤジはサラリーマンをしながら太鼓屋を繋いでいましたので

 

当然、仕事はほとんどありません。

 

だから、私が家業を手伝うと言っても

給料が払えるわけじゃないので、

 

日中、太鼓屋の仕事を修行し終えたら

夜はアルバイトをして生活する日々がはじまりました。

 

そんな仕事がない時代においても、

それでも、オヤジにとっては「息子が跡を継いでくれた」というのは

きっと嬉しかったんでしょうね。

 

なんとか、この道を切り開こうと私と一緒に「営業」に回りはじめるのです。

 

「営業」と言っても、「お客様」のところへ営業に行くわけじゃなく

同業の「太鼓屋」さんに私を紹介がてら、ご縁があった何軒かの県外の太鼓屋さ

ご挨拶に伺っていきました。

 

息子が、仕事を手伝うようになってくれたので、

何かお手伝いできることあったらお願いします。

 

そんな日々を過ごす中で、

ある一軒の太鼓屋さんが

 

それならぜひ、お願いしたい仕事があるんですがと、、

「縫い物」と言って、締め太鼓の皮を縫うお仕事を与えてくださったんです。

 

その時、いただいた縫い物をする仕事風景がこの写真です↓

 

 

実はそれも、

単にお仕事をご依頼くださったというカンタンな話じゃなくて、

 

それなら、毎月「できた分」だけ全部いただくので、

作れるだけ作ってもらえますか?

 

なんと!?

作ったら作った分だけ買い取ってくれるというじゃないですか。

当時、仕事がほとんど「ない」時代

あまりに信じられないお返事に、帰りの道

 

オヤジと、驚きというより

なんで?そんなにお仕事をいただけたのか?

 

不思議な感覚だったのを覚えています。

 

 

おかげ様で、多い年で月「100枚」で年間1000枚以上

納めさせていただきました。

 


・多い年では年間1000枚の製作を請け負いました。

 

 

当初は、ひとまず3年はお願いしますと言わましたが、

 

結果的にどうなったかというと、

このお仕事は25年たった今でもつなげていただいています。

 

もちろん、当時のような

月100枚もの数のお仕事ではありませんが、

 

三浦さんのタイミングで

できた分だけいつでも送ってくださいというスタンスは今も変わらずご縁をいただいています。

 

振り返れば、当時仕事が本当になかった時代、

このお仕事があったお陰で、

 

———————/

私の技術があがったこと。

商売としての基盤ができたこと。

———————/

 

仕事がなければ、当然職人の腕も上がらないし、

仕事がなければ、伝統や商売どころの騒ぎじゃない中、

 

それらすべてを与えていただくことができたんです。

 

 

いただいたモノは返したい。

 

 

人間というのは、いただいたモノは返したくなる欲求が溢れるようです。

 

そして、そのいただいたモノが

大きければ大きいほど、その「想い」も溢れるようです。

 

でも、残念ながら

返したい!と思っても

 

偉大な先人の方々は、みーんなお空へ行ってしまい

返したくても返せないのです。

 

だからこそ、今

私の中にあふれる想いは、

そのいただいた大切なモノを「次の世代へ贈る」こと。

 

 

「贈物」これは今年の書初めテーマですが、

今年に限ったことなく、私自身のこれからの永遠のテーマのようです(^^♪

 

最近、どこか

悩む若者やがんばろうとしている若者たちに出会うと

 

ふと、

何かチカラになってあげられることないかな、、、

 

自然にそういう感情が湧いてくるのは、

 

彼らの姿が「あの頃の自分」に見えるのと同時に、

「あの頃の自分」が与えていただいたことを思い出すからなんでしょうね。

 

 

今日も、素敵な一日を(^_-)-☆

この記事を書いた人

  • 三浦 和也(六代目彌市)

    三浦 和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

    詳しく見る 詳しく見る

お問い合わせ・資料請求

お問い合わせご質問は、商品に関する事・価格に関する事
どんな事でも結構です。お気軽にお問い合わせください!
下記フォームにて24時間いつでもお気軽にどうぞ!
お電話でのお問い合わせは、営業時間内で承ります。


お知らせ一覧へ

または

0564-64-6785

トップ