六代目ブログ

修理・張替

伝統発信ブログ

僕に教えてくれたの。な~ぜ?な~ぜ??

こんにちは、六代目彌市です(^^♪

 

今では、年間を通して

大小150台くらいの「桶胴づくり」をしている我々、三浦太鼓店。

 


・2016年より自社で「桶胴づくり」を内製化。

 

そんな私には、

 

「桶づくり」を自社でやることになった

キッカケを与えてくださった大切な大切な「師匠」が2人います。

 

残念ながら、

お二人とも今は「お空」へ行ってしまったけれど、

 

実は、今回偶然にも、

大切な師匠の一人である「永谷浴槽」の永谷さんが作られた古い桶が

我々のところへ修理でやってきたんです。

 


・大切な師匠。「永谷浴槽」永谷さんが手掛けられた桶が我々のところへ。

 

 

永谷さんは、桶の材料に

ヒノキ科の針葉樹で「サワラ」という材を主に使っていて、

 

我々が現在主に扱う「秋田杉」や「吉野杉」とは違って

この「サワラ」には特有の「香り」があるんですが、

 

今回、修理でお預かりした桶に触れた瞬間!

 

修行時代に永谷さんの工房で毎日嗅いでいた

懐かしい!あの「香り」がフラッシュバックしてきたんです♪

 


・永谷さんの工房の香りは「サワラ」特有の香り♬

 

よく、懐かしい音楽を聴けば

昔のことを思い出す瞬間みたいなのって誰しもありますよね。

 

まさに、そんな感じです。

 

懐かしい!この木の香りを感じた瞬間に、

師匠の、あの豪快な生き様、やさしさと深い愛情。

 

すべてがフラッシュバックしてきました。

 


・豪快だけど、優しな手。その手から溢れるすべてが師匠そのものだった。

 

 

今日は、せっかくそんな師匠の

太鼓が我々のところへと来てくれたので!

 

そんな師匠が、もし!

もしも!?

 

まだ生きていてくれたとしたら

私がどうしても聞きたかったこと。

 

そんなお話しです。

 

僕に教えてくれたの。
な~ぜ?な~ぜ??

 

 

2016年より、自社で桶づくりを始めたと言いました。

 

それ以前までは、

我々三浦太鼓店では「桶太鼓」のご注文があった時は、

 

この「桶胴づくり」は自社ではやっておらず、

「桶職人」さんの手を借りて一つの太鼓として完成させていたんです。

 

私のじいちゃんや、親父の時代というのは

地元岡崎にも「桶屋さん」がまだあって、、、

 

地元の桶屋さんに作ってもらっていたんですが、

 

ご存じ「現代社会」において、

「木桶」そのものを使う文化が衰退。

 

昔の日本人の暮らしで言えば、

風呂桶だったり、おひつだったり、漬物など、、、

 

暮らしの日常に寄り添う必需品だったモノが、

プラスチック容器などの登場により残念ながら激減。

 

おそらく、みなさんの家で

未だに「木桶」を使っている人は少ないのではないでしょうか?

 

 

何が言いたいかと言うと、

 

「需要」が衰退する産業というのは、

当然のごとく、後を継ぐ人がすくなくなり、、、

 

職人がどんどん減るばかりか「高齢化」していきます。

 

その先、どうなっていくかは

私があえて語るまでもなく「想像に容易い」と思います。

 

我々も、数少なくなってしまった

全国各地の「桶職人」さんを探すも、、、

 

見つける事すら難しく、

 

ようやく見つかった!

 

と、思っても

80代、90代の職人さんばかり。

 

もちろん、お元気なうちは

作ってくださるとは思っても、

 

それがあと何年のことなのか分からない、、、

 

そんな危機的状況から、

最後の手段として我々が決断したこと。

 

それが、

自社で「桶づくり」を内製化する!

 

という事だったんです。

 

とはいえ、

どこのどなたに頼めば教えてもらえるのか?

 

そもそも、

私たちは「太鼓職人」であるがゆえに

一つの『道』を極める事の難しさ、

厳しさを少なからず理解していたので、

 

決断したとはいえ、

容易に足を踏み入れる「勇気」がなかなか持てませんでした。

 

そんな悶々とした日々の中で

出会ったのが「永谷浴槽」の永谷さんだったのです。

 


・自宅の工房でいつも裸足で作業していた永谷さん。

 

 

我々が、桶づくりで困っていること、、

 

そして、

その技術を教えてもらえないでしょうか??

 

永谷さんは、

何を聞き返すこともせず、、、

快く教えてくださるというお返事をいただいたのです。

 

なぜ?

どこの誰かも知らぬ若者に、

 

何の躊躇もなく、快く教えてくださったのか、、、

 

今思えば、

それが不思議でならないのです。

 

なぜならば、、、

 

人に「技」を教えるという事が

一体どういうことなのか??

 

もし、今

自分が逆の立場になったとして、、、

 

同じように、

自分たちが培ってきた「技術」を見知らぬ若者に教えられるだろうか??

 

事実、

当時、永谷さんのところへ出入りしていた

材木屋さんや、永谷さんのお得意さんが

 

工房にいる私を見て、

不審な表情で私を見ていた事、鮮明に覚えてます。

 

帰られたあとに、

永谷さんが、、

 

なんで、お前はあんな若造に「技術」を教えるんだ!?

 

仕事を全部取られぞ!

 

 

そんことを言われたがな、、、

と、永谷さんは私に教えてくれました。

 

 

時々、そのときのことを今でも思い出すんです。

 

 

もし、永谷さんが

まだ生きていたとしたら、、、

 

私は、どうしても聞きたい。

 

師匠、

どうしてあの時、ぼくにすべてを教えてくれたのですか??

 

 

今となっては、

その「答え」を聴くことはできませんが、

 

 

それでも、唯一あるとするならば、

無償の愛で私にすべてを与えてくだったという事。

 

これだけは事実。

 

 

人は、与えていただいたモノが

大きければ大きいほど、

 

不思議なことに、

今度はどうにかしてそれを『お返し』したくなるようです。

 

残念ながら、

お返ししたい大切な人は『お空』へ行ってしまったので、

 

次の世代へと贈る事。

それが今の私の原動力なのです。

 

 

さて!

そんな明日からは、

 

いただいたモノを「贈る」大切な活動の一つ『太鼓の楽校』

 

今年も伊勢の『日本太鼓祭』にて♬
開催させていただくことになりました!

 

参加費は無料で、事前予約制なので!

 

ご興味ある方は

こちらからお申込みくださいませ>>>

 

 

 

では!

今日の最後は、

 

師匠の永谷さんの人柄あふれる

愛に溢れた最高の笑顔で!

 

今日も素敵な一日を(^_-)-☆

 

 

 

この記事を書いた人

  • 三浦 和也(六代目彌市)

    三浦 和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

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