六代目ブログ

修理・張替

伝統発信ブログ

それぞれの時代にあった「覚悟」。

こんにちは、六代目彌市です(^^♪

先日、ある方から

三浦さん、最近ブログが更新されてないようですが、、、

 

と、

わざわざご連絡いただき
ご心配くださったのですが、

 

すみません!

 

いたって元気です(^^♪

 

おかげ様で、
本業の「太鼓づくり」のお仕事が

本当に忙しくさせていただいておりまして、、、

頭と身体のエネルギーのすべてを
「太鼓づくり」で使い切ってしまっておりました( ;∀;)

 

それでも、

「記憶」「記録」として書き残すこと。

 

これは、
六代目彌市の大切な仕事の一つだと

強く実感しているので、

 

今日は、

忙しい太鼓づくりの合間にあって、

 

それでも、

書き残したい!!

 

そう思える「出来事」があったので

がんばって書き残したいと思います♪

 

それぞれの時代にあった「覚悟」。

 

先日、

西尾市は吉良町にある
「中野神社( 曬稿社ざこうしゃ)」さんから、

古い太鼓が皮の張り替え修理のため、
当店にやってきました。

 

「古い太鼓」をお預かりするとき、

私はいつも、
とてもワクワクするんです♪

 

なぜなら、

「太鼓」という楽器は、

「胴」の中に必ず「記録」が残されていて、

 

時に、

我々「三浦太鼓店」のルーツである

初代/三浦彌市が作った太鼓に出会えることがあるからです。

 


・「太鼓」の中には必ず「記録」が「記憶」として残されている。

 

 

今回の、太鼓も

地元三河地域の神社にあった古い太鼓ということで、

 

もしかしたら!?

 

そんな期待を胸に

胴の中を覗いてみると、、、

 

やはり、

たくさんの「記憶」が残されておりました。


・胴の中に残されたたくさんの「記録」

 

 

そこにあった、

たくさんの「記憶」文字を辿っていくと、、、

 

ありました!ありました!!

「初代、三浦彌市」の記録が♪

 


・胴の中に残された初代の記憶。

 

———————/

明治二十壱年

愛知県額田郡岡崎横町三拾二番戸

三浦彌市

———————/

 

今から、

約140年前に我々初代/三浦彌市が手掛けた太鼓でした。

 

 

ちなみに、

初代/三浦彌市は、「岡崎」生まれではありません。

 


・初代/三浦彌市は現在の豊田市寺部町出身

 

 

初代の生まれは、

三州賀茂郡「寺部村」

 

ちょうど、トヨタスタジアムの北側に位置する

現在の、豊田市寺部町が出身なんです。

 

なぜ?初代は

「岡崎」へ移転してきたのか??

 

今でこそ、

「世界のトヨタ」として栄える

一大、車産業の街ですが、

 

江戸時代の当時は、

田舎の村。

 

いっぽうで、

「岡崎」は城下町として栄える『街』であったこと。

 

中でも、

初代が店を構えた『横町』というのは、

現在の岡崎市『本町』にあたる地で、

 

江戸時代末期の横町(本町)というのは、

日本の大動脈であった「東海道」が直通する

最も、人もモノも経済も行き交う「中心地」だったということ。

 

何が言いたいかと言うと、

 

江戸時代、末期に、

我々のご先祖様が豊田の奥深い村から

岡崎の「横町(現在の本町)」へ拠点を移し、

「太鼓屋」を創業したということは、

 

そこに、

「太鼓屋」として事業の発展を夢見る

初代の並々ならぬ「覚悟」「挑戦」を知ることができる、、、

 

という事です。

 

そこから、

三浦太鼓店は現在の「本宿」へと

 

160年の長い歴史の中で

実は「4度」の移転を繰り返してきたのですが、

 

初代が、

「豊田」の田舎から「岡崎」の地へ

覚悟と共に移転してきたように、

 

その時代、その時代の「彌市」が、

 

いったいどんな思いで

移転を繰り返し、この「太鼓屋」という商売を続けてきたのか?

 

今日はもう少し、

お話ししたいと思います。

 

三代目彌市の覚悟。

 

 

そこから、

時は流れ、昭和初期の戦前より

 

三浦太鼓店は

「横町」から最初の移転「八幡町」へと

商売の拠点が移ります。


・三代目/三浦彌市、最初の移転である「八幡町」へ

 

 

お伝えした通り、

昭和初期、日本は戦争へと突入していき

 

三代目も、

「陸軍歩兵二等兵」として戦火の中へ身を投じていきました。


・「陸軍歩兵二等兵」として戦火へ身を投じた三代目。

 

 

想像してみてください。

 

我々も、

「コロナ禍」や「大震災」など、、、

人々の交流や、経済が

一時的にシャットダウンしてしまうような事態を経験してきましたが、

 

「戦争」という時代が、

いったいどんな時代だったのか、、、、

 

商売や、自分たちの事業を発展させることより

 

誰もが、

国のために生きることを何より優先した時代。

 

当然、

余暇や芸能としての「太鼓屋」という商売は

続けることが、とても厳しい時代に入って行き、

 

商売の規模を縮小せざる負えなかったのが、

「横町」から「八幡町」への移転だったのです。

 

 

 

この「八幡町」という場所は、

 

二七市(ふないち)という

毎月、二と七のつく日に朝市が開催される場所で、

 

昭和初期の当時は、

人がすれ違えないほど、多くの人々でにぎわった

活気ある朝市だったそうです。

 

そのとき、

三代目が考えたのが、

 

せっかく、

これだけ店の前に多くの人たちで賑わっているのに、、、

 

「朝市」に来る人たちは

「太鼓」が欲しいわけじゃない。

 

ならば、「乾物」でも仕入れて売って

少しでも商売の足しにしよう、、、

 

そこで、

誕生したのが「三浦彌市商店」という屋号だったんです。


・「三浦彌市商店」という屋号は三代目の時代に生まれた。

 

私は、この残された「三浦彌市商店」という屋号に

 

厳しい時代を生き抜こうとする、

三代目の「覚悟」「挑戦」、

 

そして、

時代に合わせた柔軟さを感じることができ、

 

令和の時代に誕生した

我々のオンラインショップ♪

 

その名を「三浦彌市商店」として

名付けることにしたんです。

 

この「三浦彌市商店」にかける想いは、

オンラインショップ上にも
pickup記事として残しておりますので、

以下共有します↓↓
三浦彌市商店にかける想い>>>

 

 

そんな、八幡町時代は

昭和十一年から昭和四十六年まで続きますが、

 

そんな時代にも、

また一つの終わりがやってきます。

 

3カ所目の拠点となる、

「六供町」への移転です。


・記憶に新しい旧店舗「六供町」。

 

 

私の父である五代目は、

昭和30年生まれ。

 

よって「八幡町」で生まれ

幼少期から、高校に入るまでを過ごし、

 

その後、

この「六供町」へと移転して参りました。

 


・五代目は「八幡町」で生まれ→「六供町」へと移転

 

ちなみに、

わたくし六代目彌市はと言うと、

生まれたのはこの「六供町」時代の三浦太鼓店です。


・写真/左がわたし六代目彌市。右は一つ上の兄。

 

 

このころ、

商売としての三浦太鼓店はと言うと、

 

やはり、

変わらず「太鼓屋」としての商売を続けることが

とても厳しい時代でした。


・畳六畳の居住スペースの片隅が、太鼓作りの場だった。

 

「工房」というよりも、

「住まい」の片隅での太鼓作り。

 

私は5人兄弟だったので、

 

五代目おやじは、

———————/

「家族」を養うこと、

———————/

そして、

———————/

「太鼓屋」の伝統の灯を絶やさないこと、

———————/

 

2つのとても大きな責任と覚悟があり、

 

「太鼓屋」だけでは

「家族」を養うことができなかったので、

 

サラリーマンをしながら、

かろうじて、三浦太鼓店の「のれん」「伝統」を守ってくれていました。


・家族を養うこと、伝統を絶やさないことの2つの「覚悟」。

 

 

これが、

五代目/三浦彌市「覚悟」でした。

 

 

そして、今。

 

そんな五代目オヤジの背中を見ながら

育った私。

 

 

 

和太鼓と言う、

すばらしい日本の「伝統文化」でありながらも、、、

 

それを、

「商売」としてをつづけることの厳しさを、

 

五代目の背中から、

 

もっと言えば、

過去の歴代「彌市」たちの歴史から

 

私は、とてもとても

強く感じておりました。

 

 

そんな、三浦太鼓店も

令和2年、

 

長い歴史の中では、

4度目の拠点となる現在の「本宿町」へと移転して参りました。

 


・令和2年(2020年)に現在の本宿へ移転。

 

 

ありがたいことに、

今では、五代目オヤジだけでなく、

 

たくさんの、

そして、「優秀」な社員たちと共に

 

この、三浦太鼓店の伝統を守り

つなげることができています。


・たくさんの優秀な社員たちと共につなげる伝統の灯。

 

 

これまでの、

歴代の彌市たちがそうであったように、

 

この場所へ移転を決めたこと、

 

そして、

多くの社員たちと共に

この伝統を守り抜くという決断。

 

ここには、

六代目彌市の「覚悟」「挑戦」、

 

そして、代々受け継いできた

商売を、こうして続けられている事に対する“感謝”があるんです。

 

———————/

受け継がれるモノには、

必ず「理由」がある。

———————/

 

私は、事あるごとに

受け継がれるモノの中にある「理由」

 

すなわち、

「真実」を見る事を大切にしてきました。

 

今日のお話しは、

私自身のルーツを辿る旅では決してありません。

 

歴代の「彌市」にあった、

それぞれの時代の「覚悟」は、

 

必ず、

みなさんの人生の中にも

みなさんの歴史の中にもあるということ。

 

「人生」を生きる覚悟とは、

自分自身がこの世に生まれた「役割(意味)」を受け入れることなのかもしれません。

 

あなたが、

この時代、

そして、この世にうまれた「役割(意味)」は何ですか??

 

 

最後に告知ですm(__)m

 

来る、6/27㈯

岡崎図書館りぶらの脇にあります

「厳選屋」さんにて、

 

一般公開型の「お話し会」を
開催させていただけることに!

わたし、六代目彌市が
伝統の太鼓づくりの中で見てきた、

「残るもの」と「消えるもの」の違いとは何か?

これからの時代に“続いていくもの”を、
皆さんと一緒に考える時間にしたいと思います。

なかなか、公開型のお話し会は
珍しいと思うので!

 

ピン!と来られた方は
ぜひ!

 

今日も素敵な一日を(^_-)-☆

この記事を書いた人

  • 三浦和也(六代目彌市)

    三浦和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

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