六代目ブログ
伝統発信ブログ
五十嵐さんありがとう。~出会いそれは奇跡の物語り~
こんにちは、六代目彌市です(^^♪
実は『担ぎ桶太鼓』というのは、
数ある太鼓の種類の中で唯一!と言っていい特徴があるのですが
みなさん何だか分かりますか??
それは、
『担ぎ桶太鼓』というのは、
数ある太鼓の中で唯一!
『身にまとう』楽器なのです♪
だからこそ、
・自分自身の「身体」に合ったサイズ選び
だったり、
・自分自身の「個性」を現すデザイン選び
だったり、
・その人が届けたい「音」をカタチにすること!
これまで我々三浦太鼓店が
培ってきた「伝統」や「経験」を活かして
『日本唯一のオーダー担ぎ桶専門店』として
みなさまの輝く太鼓人生のサポーターになりたい。
これこそが『真の願い』なのです。
そして、
今日はもう一つ!
どうしても、どうしても大切なことを
みなさんにお話しさせてくださいm(__)m
それは、
そもそもなぜ?
私たちがそこまで「桶太鼓」にこだわるようになったのか?
ということを。
それは、たった一人の
『伝説の職人』との出会いと奇跡の物語り。
この人に出会っていなければ、
今の三浦太鼓店はありませんでした。
『秋田伝統工芸士 五十嵐修さん』
亡くなられて、早くも6年が経つのですね。
初めて秋田へ訪れて
五十嵐さんに初めてお会いした日のことは鮮明に覚えています。
2015年、残暑厳しい8月の末のことでした。
あの時撮った
このたった一枚の五十嵐さんの写真。
私が本当に「届けたいモノ」がここにあるのです。
長文です。
それでもピンと来た方は
ぜひとも読んでくださいm(__)m
ここからはじまる真実の物語りを。
五十嵐さんありがとう
~出会いそれは奇跡の物語りです~
初代の頃から、三浦太鼓店では
桶太鼓の注文があった時は、
胴にあたる、桶の部分は
桶職人さんの手を借りて製作しておりました。
実は、三浦太鼓店のみならず
多くの太鼓屋さんが今でもそうなんです。
「桶」を作る技術というのは
太鼓を作る技術とはまた全然違う
道具や材料、『知識』が必要なので、
私達も昔から
桶職人さんの力を借りていました。
だけど、
近年、人々の生活から「桶」を
使う文化が衰退し、
どんどん桶屋さんが廃業、、、
私達も困って
どこか、桶を作ってくれるところは
ないだろうか???
と、
同業の太鼓屋さんに情報を訪ねて
ようやく1件の桶屋さんを
紹介していただきました。
それが、五十嵐さんだったんです。
とにかく素晴らしい「桶」でした。
何が素晴らしいって、
見た目の美しさはもちろんのこと!
何より、太鼓にした時の「音」が
ピカイチだったんです♬
でも、
実は、この時は
五十嵐さんを紹介くださった
同業の太鼓さんを通して
五十嵐さんの桶を買っていたので
一体、どこのどなたが
この素晴らしい桶を作ってくれているのか???
当時、五十嵐さんというお名前すら知らずに
ただ、唯一の情報として
「秋田の桶屋」さんであること
しか知らなかったんです。
どこのどなたが
こんな素晴らしい桶を作ってくれてるのか???
いつかお会いして直接お礼をしたい、、、、
ずっと、そう思ってました。
そんなある時のこと。
それまで順調に
桶を作ってくださっていた五十嵐さんが
2015年ごろから突然、
製作の納期が遅れ始めました。
あれ?
こまったなーーー、、、、
当時、直接ご本人の情報を
知らない私たちは、
仲介業者さんに尋ねるしかありません。
最近、桶が全然できてきませんが、
大丈夫でしょうか???
聞くと、
どうやら腰を悪くされて
数日入院されてしまうとのこと、、、、
これは、本当に困ったなーー( ;∀;)
お客様から納期は迫られるし、、、
どうしようか、、、
と悩みに悩んでいました。
悩んでいても
事は一向に進まない、、、
とにかくやれる事を
一つずつやってみようと、
まず、
どこか他にも良い
桶屋さんがあるかもしれない、、、
そう思って
ネットを使って片っ端から
新たな桶屋さんを探してみることにしました。
それでも、
全国どこをさがしても
やっぱりなかったんです、、、、
この時は、
本当に不安と焦りでいっぱいでした。
そこで、私はとうとう
秋田へ行こう!
そう決意します。
2015年春のことでした。
秋田へ行く目的は、
2つありました。
1つは、
とにかく今後の先行きが不安で
現地に行けば、新たな桶屋さんなど
何か良い情報が見つかるかもしれないこと。
そして、もう1つは
これまで、我々がお世話になってきた
桶屋さん(五十嵐さん)を見つけてお礼が言いたい
※この時点では
まだ五十嵐さんというお名前すら知らない。
この2つでした。
事前の情報収集は
ネットなどで色々調べて
秋田に5件の桶屋さんがある事を
見つけました。
もしかしたら、
その中に、
いつもお世話になっている
桶屋さんがあるかもしれない、、、、
そんなわずかな
期待を胸に、
自分で調べて桶屋さんリストを
作っていたことを今でも思い出します。
そして、いよいよ秋田へ、
そう思っていた時に、
事件が起きます。
桶太鼓の製作が
遅れに遅れてしまっていた
あるお客様からから
どうしてもこの期日までに
太鼓を間に合わせて欲しいとのお電話、、、、
これは
いよいよ困った、、、
仲介業者さんに
事情を伝えると、
1日でも早く三浦さんに
届くように、我々を介さずに
直接、桶屋さんから
三浦太鼓さんへ桶を送ってもらうようにします!
そう言ってくれたんです。
何ともありがたい
対応に感謝したんですが、
そこから奇跡が
動き始めます。
そう、
直接送ってくださった秋田の桶屋さん
そこには、
送り元となっている
送り主の「ご住所」と「名前」が書かれていたんです!
秋田県能代市、「五十嵐桶樽製作所」と
記入されてました。
え!!
もしかして
これが!
長年、我々に
すばらしい桶を届けてくださってた方が
「五十嵐さん」という方だったことを
初めて知ったんです♬
まだ直接ご本人に
お会いした訳じゃありませんでしたが、
このときの
感動は今でも忘れません、、、
そこで、すぐに
私は自分が準備し訪ねようと思っていた
秋田の桶屋さんリストを見てみたら、
何と!
五十嵐さんの名前が
ちゃんとあったんです♬
それも、
一番最初に行こうと思った
桶屋さんが五十嵐さんでした。
ようやく、ご本人に
これでお会いできる。
会ってお礼が言える。
私はすぐに、
書かれていた住所の先
五十嵐さんお手紙を書きました。
五十嵐さんが作ってくださった桶が
どれだけ素晴らしいか、、、
ぜひ一度、直接会って
お礼が言いたい。
これまでの感謝の気持ちを
とにかく伝えたくって言葉にならないほどの
想いを手紙に綴りました。
その時、
私の書いた手紙に対して五十嵐さんが
お返事くださったのがこのおハガキです↓
————————————
このたびは、私の作った太鼓の「胴」を
喜んでいただき、お手紙を読んで
とてもうれしかったです。
26日からは仕事で
県外に出張してしまうので
それまでに来ていただけましたら
たすかります
2015年8月五十嵐修
———————————
これで、
ようやくご本人に会えるんだ。
かくして、2015年夏
運命の秋田への旅路が始まりました。
どこまでも続く青空と、
どこまでも続く秋田こまちの田んぼ道、、、
秋田の第一印象は、
地元愛知にはない
包み込まれるような優しさと美しい青空
これから始まる
旅のワクワク感をさらに高めるモノでした。
期待に胸膨らませ
いよいよ到着!
ここが、
五十嵐桶樽製作所♬
決して大きな工場ではなくって
一件のご自宅の片隅での桶作りをされてる様子、、、
緊張とワクワクと
ドキドキと、
とにかくいろんな感情が
入り混じって
初めて五十嵐さんにお会いした時の
「感動」は今も鮮明に頭の中に焼き付いています♬
よーーく
遠くから来てくださった。
とにかく中へ
入ってください♬
そう言って
店内に招いてくださいました。
いたるところに桶の材料となる秋田杉が
なんとも言えない
やすらかな香りを放っていました♬
五十嵐さんの桶作りは
ご自身で秋田杉を原木から
仕入れるところから作っていること、
また、
工房にも入れていただき
道具の事などいろんなことを
丁寧に教えてくださいました。
たっぷりと5時間くらい
滞在させてもらったでしょうか、、、
これまで
伝えたかった感謝や
五十嵐さんの桶作りの事、
お一人息子さんはいるけど、
仙台の会社へ勤めており
桶作りは継がれていないコト、、、
お身体の具合のこと、、、、
そして、
翌日から
奥さんと2人で
北海道へ2週間ほど旅行に行くんだと、、
そんな話までしてくださいました。
これが私がはじめて、
秋田を訪れた2015年8月のことでした。
帰りの飛行機の中で、
ようやく、ご本人に
直接お礼が言えた事による満足感と
やはりお身体のことや
後継者さんがみえないこと、、、
今後のことを考えると
やはりそうした不安はぬぐいきれず
2つの想いが複雑に交差していました。
悶々とした思いは
岡崎に帰ってきても
ずっと変わらず、、、
とうとう決意します。
桶作りを教えてもらおう。
五十嵐さんの作ってくださる
桶は本当にすばらしい。
この先、
この「音」を守るためには
ご本人から桶作りを
教えてもらうしかない。
もう、
その方法以外に
道は見つからなかったんです。
そこで、
再び五十嵐さんに
お手紙を書きました。
私に桶作りを教えて欲しいと、、、
私にとっては
人生をかけた一大決心でしたが
その時、五十嵐さんから
いただいたお返事がこちらでした。
———————————
私どもでは仕事を教えることは
考えておりません。
これからも
今までと変わらず良い製品を作って
いきたいと思っております
今後ともよろしくお願いいたします
五十嵐
————————————
率直に、お断り
されてしまいました。
一つの道を極めること。
職人の世界の厳しさ。
太鼓屋として
少なからず様々な経験を
させてもらってきた私自身だからこそ、
この、五十嵐さんからの
短くもストレートなお返事が
とても心に刺さり、
それ以上
お願いすることはしませんでした。
ここで、普通の人は
きっと諦めるでしょうね。
でも、
私は諦めませんでした。
五十嵐さんに直接習えないのであれば、
何とか別の方法を
見つけよう、、、
そんな時に、
神様は現れるのです。
なんと地元愛知に
桶職人がいるという事を
あるテレビ番組放送をキッカケに
知ることになります。
それが、
私の師匠である永谷さんとの出会いでした。
愛知県、西尾市一色町。
漁師町であり
昔から生活に寄り添った桶作りは
もちろんのこと!
太鼓用の桶も経験があるとの事、
また、断られてしまうのでは、、、
仕事を教えてくださいますか??
恐る恐る尋ねるも
永谷さんは
私でよければ!と
快く教えてくださることに、、、、
こうして何かに導かれるように
一筋の奇跡がつながっていきました。
ただ、五十嵐さんへの憧れ
挑戦を決してあきらめたわけではありません。
永谷さんから桶作りを
教えてもらって、
いつか、
いつの日か
五十嵐さんから
教えてもらえるように
リベンジしよう、、、
そう思っていました。
永谷さんは当時83才でした。
お年は高齢でしたが、
まーとにかく元気元気!
手だけではなく、
足まで使って、
それはそれは
器用に桶を仕上げる様子を見て
こういう先人の「知恵」こそ
後世に残さなければならない伝統だと
確信しました。
これが、
そんな師匠に習いながら
このころ、
五十嵐さんは再び
お身体が悪いという事で
特に、腰の状態が良くない、、、
そう聞いていたんですが
再び入院されてしまうとのこと、、、
桶太鼓を待ってくださっているお客様が
たくさん控えていたので、
この先の注文は
全て自分で作る!
と私は決意しました。
よく、この時のことを
聞かれて
三浦さんフットワーク軽いですねって
言っていただく事あるのですが、
とんでもない!、、、
この時、
私には自分でやる!
それ以外の選択肢が
まったくなかっただけなんです。
最後に人の背中を押すモノって
きっと、本当の本気の「覚悟」
なんでしょうね、、、
だから、
できたんです。
できたというより
やるしかなかった状況。
とにかく、
桶作りの経験も、
知識も技術も何もなかったですが、
この道を積み重ねれば、
必ずや自分たちが
めざす「音」へのゴールにつながっている
その「確信」だけが
わたしの心を突き動かしてくれました。
結果的に、
2016年1月からスタートした
私の桶作り、
2016年の1年間で
何と「100台」もの自作桶を
完成させることになります。
少しずつですが
そんな、一筋の光が見えてきた
そう思った矢先の出来事でした、、、、
2016年9月。
突然、
五十嵐さんの奥さんから
お電話が鳴ったんです。
あれ?
何で奥さんから???
とても嫌な予感がしたのを
今でも鮮明に覚えてます。
それは、
あまりにも突然の訃報でした。
お身体悪く
入退院はされていましたが、
まさか、
それほどまでに
悪かったことを
本当に、全く知らなかったです。
お電話の向こうで
奥さんが泣きながら
お話しくださいました。
11年前にガンを発症したこと。
それが5年前に再発していたこと。
前立腺がんというご病気で、
お腹の痛みが
腰まで広がっていたため
常に腰が痛く、
腰痛の原因はがんが原因であったこと、、、
言葉になりませんでした。
そして、
わたしは居ても立っても居られず
再び秋田へ訪れます。
2016年の冬のことでした。
そこには、
五十嵐さんの姿は
もうありませんでした。
仕事場には、
作りかけの桶の材料が
まだそのまま立ててあり、、、
三浦太鼓店から注文させてもらっていた
注文書が、
そのまま置かれていました。
この時、
五十嵐さんの奥さんは、
いろんなことを教えてくれました。
去年三浦さんが
来てくれた次の日から
2週間、北海道へ旅行へ行きました。
病の痛みと戦いながら
たぶん、本人は最後の旅行になる
そう決意していたんだと思います。
そして、
お父さん、
本当は三浦さんに
桶作りを教えたかったんです。
自分自身の身体の事があって、
人に教えられるほどの
状態じゃなかったので
断腸の思いで一度はお断りしました。
でも、
必ず元気になって
桶作り教えてあげたい
と、、、、
そうだったのか、、、
悲しみというより
悔しさばかり。
せめて、
もう一言だけでも
直接お礼が言いたかった。
私は、
奥さんにこの時
初めて自分が桶作りを始めた事、
いつか、
教えてもらいたいと
リベンジしようと考えていたことを
伝え、岡崎へ帰ってきました。
すると、
岡崎に帰って数日、
五十嵐さんの奥さんから
こんなお手紙をいただいたんです
去年の今頃、
まさかお父さんがいなくなるなんて
奥さん自身も考えもしなったこと、、、
そんな中、
最後の最後に
三浦さんに出会えたことの意味。
もう少し、お父さんの
身体が悪くなければ、、、
そう思うととても残念でなりません。
そして、
奥さんからのお手紙の最後に、
何とこのような事が書かれていたんです。
もし、
三浦さんがお時間をとることができたら、
お父さんの仕事場で
桶を作ってみませんか?
長年、私はお父さんのそばで
ずっとお父さんの桶作りを見てきました。
材料も、道具も揃ってます。
実際に、うちにきて
桶を作りながらお話しできたら
何かつかむことができるんじゃないかって、、、
そして、
お手紙の最後にはこう綴られていました。
よくお父さんは、言ってました。
モノづくりをしている人に
一番大切なことは、
カンの良さ、
のみこみの早さ、
絶対に手を抜かず、
ていねいなモノを作る。
人が作れないモノを努力して
作れるようになる事。
三浦さんに、
私が見てきたことこと、聴いてきたことを
伝えられたらと思ってます。
もし、
よかったらいつでも
私はお手伝いしたいと思います
五十嵐祐子
————————————/
悲しみに中に
再び一筋の光。
言葉にならぬ
希望をこのお手紙からいただきました。
そして、
2017年6月。
3度目の秋田への旅で
私の夢はとうとう実現したのです。
ここは、
あの憧れの五十嵐さんの工房。
なぜ?
ご本人がいない今、
わたしがこうして
この場所で仕事をさせてもらえているのか???
不思議で仕方ありませんでした。
五十嵐さんの奥さんは
本当に丁寧に細かく
桶作りのことを
私に教えてくれました。
こうして、
まだまだ駆け出しとは言え、
少しずつ桶作りを積み重ねてきていたので
これまでの自分のやり方と、
憧れの五十嵐さんのやり方、
いったい何が
どう違ってあの「音」が生まれているのか?
感じられる感覚を
すべて研ぎ澄ましながら
大切な五十嵐さんの
道具も使わせてもらい
この時、2台の桶を
完成させました。
こうして
五十嵐さん奥さんのお陰で
とうとう、
念願だった五十嵐さんへの夢が
叶った瞬間でした。
五十嵐さんの
奥さんのお手紙には
こんな言葉がありました。
夢を叶えるということは
自分が 自分として
生まれてきた目的を果たすことです。
人は、
何かその人にしかできない
役割を必ずもって
この世に生まれてくると言います。
「夢」っていうのは、
何かすごい事をすることでは決してなくって
夢を叶えるとは、
その人自身が
この世に生まれた役割をきちんと理解して、
その意味、目的を受け止め
行動しつづけること、、、
そう教えてくださいました。
五十嵐さんのお仏前には
このようなメッセージが笑顔のお写真と共に
今も、飾られています
修得した技術を
広く役立てて欲しい、、、、
大空からありがとう。
世のため、
人のために役立てる事。
人としてこの世に誕生し
自分自身の「夢」の先が
誰かの役に立てるようになる事。
それほど
幸せな人生ってありませんよね。
五十嵐さんと出会って、
私の人生は間違いなく大きく
変化しました。
「本物」のモノづくりの中には
「本物」の生き方がある。
「本物」とは、
人の心に届くモノ
私が、
一番最初に五十嵐さん桶を見て
感じた「感動」というのは、
職人としての「技」ではなく、
そんな「生き方」にあったんだと
気付かされました。
だから、
今はハッキリと言えます。
「伝統」というのは、
こころ豊かに生きる
先人たちの知恵だと。
「伝統」それは
辞書を引けば
代々脈々と受け継がれるモノ、、、
と、あります。
脈々と受け継がれるモノには
やっぱり受け継がれるべくして
受け継がれる「理由」があるんです。
大切なモノは残されるし、
そうでないモノは
残されないのです。
モノも、人の生き方も同じです。
今、私の桶作りの道具は
すべて
この五十嵐さんから頂戴し
受け継がせてもらったモノたちばかりなのです。
大切なモノは残されるし、
そうでないモノは
残されないのです。
私にこれほどまで
多くの事を教えてくれました。
こうして、
渡されたバトン。
五十嵐さんから受け取ったバトンですから、
今度は私も、
次につなげられる
そんな生き方をしていきたい。
まだまだ憧れの背中は遠いようです
五十嵐さん
ありがとう。
令和四年五月吉日
株式会社 三浦太鼓店
六代目彌市
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