六代目ブログ

修理・張替

伝統発信ブログ

誰かの役に立ちたい、、そう思ったから。

こんにちは、六代目彌市です♬

3月に放送していただいた

『世界ニッポン行きたい人応援団』という番組で

オーストラリアのジェーンさんと共に作った
特別な『桶太鼓』が完成しました!

残念ながら直接持っていく事は叶わないので( ;∀;)

今日!『ビデオレター』というカタチで
続編の取材をしていただけることに!

 

また追加放送をお楽しみに(^^)/

 

 

 

【誰かの役に立ちたい、、そう思ったから】

 

さて、昨日

地元岡崎のとある施設に『味噌六太鼓』
展示していただける!ということで

打ち合わせして参りました♬

 

 

これまで3台製作してきましたが、

今回展示いただく予定の味噌六は

3年目に製作させた3号機で

『カクキュー八丁味噌』、『まるや八丁味噌』の両社の

古き仕込み桶が一つになって完成した

特別な『味噌六太鼓』なのです♬

 


150年以上仕込み桶として活躍していた
『カクキュー八丁味噌』『まるや八丁味噌』さんの両社の底板から製作↑↑

 

 

打ち合わせの中で、

これまでの『味噌六太鼓』の活躍を

本当に評価していただいていることが分かって

 

これほどまでに嬉しいなと

思える事ありませんでしたが、

 

そのなかで、

そもそもあんたはなぜ?こんな事

思いついたのか?

 

そう聞かれたんです。

 

 

ひと言で答えるなら

誰かの役に立ちたい、、そう思ったから。

 

です。

 

いつも、私の原動力ってそうなんです。

 

 

誰かの何かの役に立ちたい。

誰かの何かの役に立てる事。

 

これほどまでに人生

生きててよかった!なぁ~

 

そう実感できる瞬間てないと思うんです。

 

それが『仕事』であれ『遊び』であれ
どんな事でもいい、

 

誰かの役に立てているなら

私が私としてこの世に生まれた意味を感じられる。

 

そう思ってます。

 

 

 

子どものころから太鼓屋でした。

 

 

私にとって、『太鼓』って

全然特別な存在じゃなくって、

 

いつも身近なモノだったんです。

 

 

 

あまりにも『身近』な存在だったので

あの頃は太鼓が『特別』なモノだと感じた

全然なくって、

 

太鼓=『親父の仕事』

 

もっと言えば

太鼓=『親父』でした。

 

今は、もちろん全然違いますが

幼い頃は、五代目は厳しかったので

 

本当に怖くて嫌いで( ;∀;)

そのお陰で、

『太鼓』も『親父』もあまり好きに

なれなかったんです。

 

 

そんな私が、

好きでもなかった太鼓の道へ

 

それこそ何となく、

特に好きでもない状態で足を突っ込んだのは

間もなく20歳を迎えようとしていた時でした。

 

 

特別、何かやりたかった訳でもなく

特別、何か夢があった訳でもなく、、、

 

太鼓屋の仕事を適当に

手伝いながら、

 

次の仕事さがそう、、、

 

そう思ってました。本当に。

 

そんな私に訪れた人生最大の転機が

『和太鼓零~ZERO~』を創ったこと。

 

24歳のときでした。

 


24歳の時、立ち上げた和太鼓零~ZERO~♬

 

 

零~ZERO~を立ち上げるキッカケになったのが、

とあるお客様からの一言だったんです。

 

お兄ちゃん若いね~

若いのに職人さん?偉いね~

 

もちろん太鼓叩けるんでしょ!

 

 

私はハッとしました。

 

それまで、なんとなく

親父から教えてもらいながら太鼓は作れるようになってましたが

 

何となく太鼓というカタチになってるだけで

太鼓の叩き方すら知らない。

 

もっと言えば、叩いたこともないので

その『音』だって分からない、、、

 

そんな状態で誰かの役に立てる仕事が

できるわけがない、、、

 

心にポッと小さな灯がともった瞬間でした。

 

そこからは、楽しかったですね( ;∀;)

 

何より、太鼓を叩くようになって

太鼓ってこんなに楽しかったんだ!って知ってしまって、

 

どっぷりとこの世界にハマっていきました。

 

 

そうやって、真剣に『太鼓』に向き合う事が

できたことで、

 

私は、

『先人たち』の偉大さや『伝統』のすばらしさ

と言うのを、この肌で強く実感してくのです。

 

 

中でも特に、変わって行ったのが

親父に対する考え方。

 

幼い頃、

あんなに嫌いだった親父ですが、

今では誰より『尊敬』している。

 

心からそう言えます。

 

フラフラしてた私に

生きる希望や勇気を与えてくれた

 

そんな偉大な方々に、

今度は『恩を返したい』そう思うのは当たり前のことです。

 

・受けたご恩を返したい

・受けたバトンを次の世代へつなぎたい

 

私に、そう思わせてくれた偉大な方々への

恩返しの気持ちが原動力となって

 

そうやって『味噌六』も誕生していったのです。

 

決して、

ポンと何か面白いことを思いついたから

という訳じゃなくて、

 

頂いた大切なモノを使って

地域や先人の人たちの役にたちたい

 

ただ、それだけでした。

 

これからも、その気持ちは

変わる事はありませんし、

 

その上で、この仕事を通して

世の中の誰かの役に立てて

 

事業としても成立させることが

できたとしたら

 

これ以上の『しあわせ』はないと

思ってます。

 

そんな私の挑戦は

まだまだつづきます。

 

間もなく梅雨明けですかね

今年の、梅雨は長かったな~

 

今日もステキな一日を(^_-)-☆

この記事を書いた人

  • 三浦 和也(六代目彌市)

    三浦 和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

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