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過去から学び未来を創る♬第二章。温鼓知新という生き方

【過去から学び未来を創る♬第二章】
~温鼓知新という生き方♬~

 

 

第二章 「運命の初対面」

 

いよいよ今日は「温鼓知新」の第二章
五十嵐さんとの運命の「初対面」の物語りです。

この出会いからすべては
はじまりました。

第一章をお見逃しの方はこちらから>>>

 

それでは早速お届けします♬

 

第二章 「運命の初対面」

 

 

2015年、夏。

どこまでも続く青空と、あきたこまちの田んぼ道。

初めて降り立つ秋田県は、そんな第一印象でした。

自然に包み込まれるような、なんともいえない優しい気持ちは、
この旅のワクワク感をさらに高めてくれました。

五十嵐さんには事前にお手紙をお送りしてあり、アポイントも済んでいます。

胸を高鳴らせながら、工房を訪ねました。

 

のどかな住宅街の一角に立ち並ぶ『五十嵐桶樽工房』。

大きな工場ではなく、ご自宅の片隅で桶作りをされているようでした。

 

おそるおそる声をかけると、中から穏やかな声が。

「よーく、遠くからきてくださった。さあ、とにかく中へ入ってください」

 

五十嵐さんは頑固な職人というイメージとはかけ離れた、

とてもやさしい方でした。

 

そのときの柔和な笑顔と、工房内に立ち込める、

むせかえるほどかぐわしい秋田杉の香りは、今でも鮮明に覚えています。

 

 

「私は、秋田杉を原木から買い付けているんです」

そう話す五十嵐さん。

 

木の特性を見抜く選木眼と、

熟練の技と古くから伝わる道具が合わさって初めて、

あんなに素晴らしい桶ができあがるんだと、

 

当時の私はとても感銘を受けました。

その後も、桶作りについてのこだわりや奥様とのこと、

 

息子さんはいらっしゃるものの

別の会社にお勤めされているため桶作りは継がれていないこと、

 

お体の具合のことなど……。

 

たっぷり5時間もの滞在でいろいろ聞かせていただきました。

 

もちろん、私からも感謝の思いをしっかりとお伝えし、

とても有意義な時間になりました。

 

 

すると帰り際に一言、何気なく五十嵐さんがつぶやきました。

 

「明日からね、奥さんと二人で北海道へ二週間ほど旅行に行くんです。

このタイミングでお会いできてよかったです」

 

運命の出会い、というものは、

得てして誰にでも突然降りかかるものなのかもしれません。

 

一日遅かったらお会いできていなかったのです。

いろいろな奇跡や偶然が重なったことに、私は特別な意味を感じていました。

 

ようやくご本人に直接お礼が言えたことによる満足感もありましたが、

お体のことや跡継ぎがいないことなど、

 

いささか心残りもありました。

 

悶々とした思いは岡崎に帰ってきてからも続き、

しばらくは私の胸を支配しました。

 

そして、私はとうとう決意します。

五十嵐さんに直接、桶作りを教えてもらおう、と。

 

五十嵐さんの作ってくださる桶は本当に素晴らしいのです。

この先、この「音」を守るためには、

 

ご本人から桶作りを教えてもらうしかない。

 

もう、その方法以外に道は見つかりませんでした。

 

そこで私は、再び五十嵐さんにお手紙を書きました。

 

桶作りを私に教えてほしい、

 

この技術と伝統を守り私が受け継いでいきたいという、

ありったけの思いを文に込めました。

 

そして、五十嵐さんからいただいたお返事がこちらでした。

 

 

『私どもでは仕事を教えることは考えておりません。

これからも今までと変わらず良い製品を作っていきたいと思っております。

今後ともよろしくお願いいたします』

 

 

あまりに短く、そして簡潔なお返事でした。

 

しかし私も、

江戸時代から続く老舗を担う者の端くれ。

 

伝統を守るということや、一途に道を究めることの難しさ……。

 

この短い文に込められた”職人としての思い“が痛いほど伝わり、

それ以上お願いすることができませんでした。

 

 

しかし、そこで諦めないのが私です。

情熱は燃やし続けたまま、なんとか打開策を考えていました。

 

そんなとき、何気なく見ていたテレビ番組がきっかけで、

なんと愛知県に桶職人がいるということを知ったのです。

 

それが、私が”愛知の師匠“と慕う永谷さんとの出会いでした。

 

 

さっそくご連絡を取ってお会いすることに。

聞けば、昔から太鼓の桶はたくさん作っているとのことでした。

 

仕事を教えてくださるだろうか?

 

また断られてしまうのでは……?

 

一抹の不安がよぎりましたが、思い切って尋ねました。

 

「私に、桶作りを教えてくださいませんか」

 

この申し出を、永谷さんはご快諾くださったのです。

 

諦めなくてよかった。

 

神様がどこかで見ていてくれていて、道しるべをしてくださったんだ。

そんな思いと、永谷さんに感謝の思いでいっぱいでした。

 

私は、永谷さんから教わった桶作りの技術を活かして、

自分なりの桶を作ることに決めました。

 

その技術をもって、いつの日か五十嵐さんから

教えてもらえるように成長しようと誓いを新たにしたのです。

 

 

第二章終わり。

つづきはまた第三章でお届けします!

 

 

最近私、思うのです。
「行動」とか「挑戦」の先には
必ず「リスク」というのが付いてくる。
でも、最大の「リスク」はその足を止めてしまう事。
「経済」も「お金」も人の「ご縁」も
流れが止まってしまうと崩壊します。
だから、私はこれからも行動、挑戦し続けます。

今回は特別に、物語りに出てくる

私がはじめて五十嵐さんにお会いする前に

書いた「お手紙」も一緒に公開します♬

 

————————————–/

五十嵐 修様

 

はじめまして、いつも大変お世話になっております。

突然のお便り失礼いたします。

いつも本当にお世話になっておりながら

〇〇商店さんを通してのご縁だったので
こうして直接お便りすることができず、

お礼もお伝えすることができず、はがゆい想いをしておりました。

どうしても一度直接うかがいたい、
そう思い秋田県の桶屋さんをいくつか探し当て

その住所をもとに実は近々秋田へ探しに行こう。

そう思っていました。

そんな矢先に我々の桶を作ってくださっているのが

秋田県、能代市の五十嵐さんだと知り
これは何かの運命だと強く感じました。

 

なぜ私が五十嵐さんにそこまでしてお会いしたいか、
今日はその事をお伝えしたくて筆をとりました。

 

まとまりのない文章で申し訳ありませんが、
お読みいただけましたら幸いです。

 

私ども、三浦太鼓店は今年で
創業150周年を迎える愛知県岡崎市にある太鼓屋です。

 

先祖代々ここ地元岡崎の地で仕事をさせていただき私が六代目彌市です。

 

ご存知のとおり、
伝統産業をとりまく状況は厳しいです。

 

太鼓の需要も地域の祭礼や伝統芸能が数年前までは主で、
主と言うよりそれしかないという状況でした。

それが数年前から和太鼓の業界は新しい需要、
ニーズが生まれ始めました。

 

伝統芸能に対し創作和太鼓と言われる世界で、
太鼓を楽器として幅広い演奏活動に使っていただけるようになりました。

 

時代の変化とともに、
和太鼓の需要と人々のニーズそのものが変化してきました。

 

伝統は守るだけではいずれなくなってしまう。

 

これだけ時代が大きく、
変化している時代ですので、人々のニーズも多様化しています。

 

守る事はもちろん大事ですが、
その中で時代に合わせた変化をすることが

 

私たちは同じだけ大事な要素だと常々考えて仕事をさせていただいています。


伝統を守り、伝統を創る

 

これが私たちが掲げる経営理念です。

 

しかし、新しいモノを作る上で
大切にしなければならないことがある。

 

私たちはその事を受け継がれた古い太鼓、
伝統から学ぶ事が出来ました。

 

それはもしかしたら、
今の時代の日本人がわすれかけてしまった大切な要素だとも感じています。

 

伝統とは先人たちの知恵。

 

受け継がれるモノには受け継がれる理由がある。

 

だから現代になおその魂が息づいている。
私はそう思っています。

 

古い太鼓の修理をさせていただく事がよくあるのですが、
200年300年さらに古いモノになれば500年も前に作られた太鼓だってあります。

 

みなすべて現役です。

 

これだけ世の中が豊かになり、モノに溢れ、
何不自由もない暮らしの中ではありますが

 

500年続くものっていったいどれだけあるでしょうか・・・

 

私には、なぜ
目の前の太鼓が500年大切に受け継がれたのかその理由が分かりました。

 

それは、たった一発の「生きた音」が宿っていたのです。

 

古い太鼓ですから見た目はボロボロ、
カタチはいびつ

 

それでもその太鼓の音は活きていました。

 

ああ、生きた音は人と人をつないでくれる、
人と自然をつないでくれる

 

その音がはっきりと見えてきたとき、
わたしは現代の人たちに

 

その事をきちんと伝える役割をいただけたのだと感じました。

 

桶太鼓、過去にも地元の職人さんをふくめ自作桶など
いろんなことに挑戦してきました。

 

そこで出会えた五十嵐さんの桶。

 

全く違うのです。

単に仕上がりではありません。
先にも伝えたとおり、太鼓の命は『生きた音』

 

太鼓にした時に、五十嵐さんの桶胴は
圧倒的なこの生きた音を奏でてくれるのです。

 

なぜ、五十嵐さんの桶がここまですばらしい音を奏でるのか?

その理由が知りたい、

そして一度どうしても直接お目にかかってその話を伺いたい。

 

祭り、太鼓の音は人々の心を豊かにします。

たくさんの人の心を豊かにする音を作り続けたいのです。

 

五十嵐さんの桶に出会えたこと、
こころから感謝しています。

 

そしてこれから先、
このすばらしい音をもっともっとたくさんの人々に届けたい

 

私は今そんな夢を抱いています。

 

伝統芸能を取り巻く環境は厳しいです。
時代の変化とともに生き残るのが必至です

 

でも、
受け継がれたモノ、先人たちの知恵の中には

 

私たち日本人がぜったいに失ってはいけない確かな豊かさが存在している

 

私はそれを今とても強く感じています。

 

だからこそ、絶対なくしたくないし、
その大切さを多くの方々に知ってほしい。

そう思っています。

 

どれだけ想いを伝えてもまだまだたくさんの想いがあって
伝えきることができません。

 

今月末、秋田へ伺いたいと思っています。

8月24.25

8月27.28.29

 

あたりでと考えていますがご都合お聞かせいただけましたら幸いです。
突然のお便り大変失礼いたしました。

 

積み重ねられた歴史と知恵、失うのは簡単。
失うのは一瞬です。

激動の時代において残すということは本当に難しいです。

しかし、だれかがそのチャレンジをしなければ本当に失われてしまう。

その為に私は五十嵐さんにお会いしたいです。

宜しくお願い致します。

 

平成二十七年 七月吉日
三浦太鼓店 六代目彌市

 

———————————/

 

第三章へつづく

第三章はこちらから>>>

今日もステキな一日を(^_-)-☆

 

この記事を書いた人

  • 三浦 和也(六代目彌市)

    三浦 和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

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