六代目ブログ
伝統発信ブログ
お知らせ
4月1日今日は何の日?
こんにちは、六代目彌市です♪
2023年!新しい一年が幕を開けたと思いきや、、、
早くも4月ですね〜!
・桜も満開を迎えたと思ったら、まもなく葉桜です。
歳を重ねるたびに、『時』が過ぎるを早く感じるようになる、、、
そう言われますが、、、
本当にそう思う今日この頃です。
さて、そんな4月1日といえば!
一体何の日でしょうか??♪( ´▽`)
エイプリルフール!
では、なくて、、、
4月1日といえば!
はい、我々『三浦太鼓店』が新店舗へ移転して
おかげさまで㊗️3周年を迎えることができた日なのです♬
思い返せば、我々が移転したのは
『2020年の4月1日。』
そう、ご存知
2020年4月といえば
コロナ最初の『緊急事態宣言』が全国に発令された
まさにその時だったのです。
この先、一体どうなっちゃうんだろう??
今、世界で何が起きていて、
これから世界が一体どう変わってしまうのか???
ただただ、先行きが見えない『不安』に怯える日々だったこと
今でも鮮明に覚えてます。
そんな、中で迎えた新店舗オープンだったので
もちろんお客様をお迎えしてなどの、華やかな『式典』などは当然なく、、、
従業員だけで、ひっそりと「テープカット」をしての幕開けだったのです。
・三浦太鼓店のメンバーだけで迎えた新たな門出。
そこから、時代がどう変わっていったのか、、、
それはもう皆さんご存知の通りです。
我々の事業も、
祭り、エンターテイメントに関わる「ど真ん中」のお仕事だったので
それは、それは相当な影響を受けてまいりましたが、、
ただその中においても
——————-/
今日できることをやろう。
今、何ができるか考えて行動しよう。
———————————–/
そう自分たちに言い聞かせ、必死に耐え忍んだというのが
振り返ってみての実感です。
さて、そんな今日のお話は、
『コロナ禍』をどう耐え忍んだのか??
というお話ではありません。
そもそも、
我々『三浦太鼓店』がなぜ??
思い溢れる旧店舗の地から離れ「移転」をしようと思ったのか?
そのことを、改めて伝えたいなって思ったので
今日はお話ししたいと思います♬
なぜ? 三浦太鼓店は移転しようと思ったのか?
我々、三浦太鼓店は1865年創業
先祖代々、この岡崎の地で「和太鼓製造業」を営んで参りました。
・創業当時の正確な所在地は「三河國額田郡岡崎横町」
そこから、代々
戦争や、天災、
そして時代の移り変わりとともに我々も移転を繰り返し
横町から→八幡町
八幡町から→六供町へと移転をしながら
なんとか、この「三河地域」に必要とされる「本物の音作り」を守ってきたのです。
そんな三浦太鼓店150年余りの時代の中で、
一番「商売」として厳しい時代がありました。
それが、移転前の「六供町」の店舗で
太鼓屋を守り続けてきてくれた、
私のじいちゃんばあちゃんの時代だったのです。
・六供町時代を守り続けてきてくれた、じいちゃんばあちゃん。
なぜ?商売が厳しかったのか、、、
五代目がよく話をしてくれるのは、
五代目の父である私のじいちゃんは、
「腕」こそ器用で、本当に素晴らしい太鼓職人としての「技」は持っていたけれども、、
ただ「商売人」としての気質が薄かったこと、、
そして、
じいちゃんは身体の健康もあまり良くなかったことも重なって、、、
五代目は幼少期から、身体の悪い
じいちゃんを助けるため、家業を手伝いながら育ったため
大人になったら「太鼓屋」という商売だけでは
自分自身の生活、家族を養いきれない、、と
高校を卒業してからは、地元企業にサラリーマンとして就職して生計を立てておりました。
・私の子供の頃、五代目親父はサラリーマンでした。
サラリーマンは、土日が休みですからね。
その休みを使って、かろうじて地域の「音作り」を守る、、、
という、
そんな時代を過ごしておりました。
当然、職人は五代目親父、たった一人です。
サラリーマンをしながら、、、
かつ「一人」でできる作業というのも当然「限界」があったので
親父の時代は、いくつかの作業を「外部の職人」さんの手を借りながら
何とか一つの太鼓を完成させる、、
そんな時代を過ごしておりました。
・一つの太鼓を完成させるために、いろんな人の力を借りていた時代。
その中で、
わかりやすくお伝えできる三浦太鼓店の代表的なモノといえば、
そう「桶づくり」なのです。
・桶づくりは当時「桶職人」さんの力を借りて作っていた。
桶職人さんに頼んで「桶の胴」を作ってもらい
我々は、それを仕入れて
皮を張り「太鼓」にして完成させるというプロセスでした。
日本の桶職人のその「伝統」の中に宿された「技」というのは
本当に素晴らしくって、
我々は、その作っていただいた「桶胴」に
皮を張って仕上げるだけで、
三浦さんの「桶太鼓」は本当に良い音がします!
と、、ありがたいことに
多くのお客様に喜んでいただけておりました♬
・桶職人さんの技術を借りて一つの太鼓を完成させていた。
実は、このようなことが
桶だけではなくって、
親父が当時「一人」でやっていた頃というのは
本当に、外部にたくさんの「優秀な職人」さんがいてくださって
その方々がいてくれて、
その方々のお力をお借りできたからこそ
我々、三浦太鼓店も何とか「伝統」を守ることができていたのです。
ここからが、本題です。
その頼れる外部の「職人」さん達も、、、
ご多分に漏れず、、、
時代の移り変わりとともに、
後継者不足や、仕事の減少、、、
我々、三浦太鼓店が「太鼓屋」だけでは
守ることが難しかったように、、、
一人、また一人と
後継者も育たぬまま、辞められていってしまったのです。
そこで、いよいよ
わたくし六代目の時代になり、大きな「決断」を迫られる事になります。
失われてしまう「技術」をそのまま失ってしまうのか?
それとも、
何か別の方法を探すのか??
そこで、私が「決断」したのが
失われてしまいかけたその「技術」を見て見ぬふりをするのではなく、、
自社に全て『内製化』することで、
伝統を守ろう!ということだったんです。
そうやって、
桶づくりだけでなく、、
・本物の音
・大切な伝統
を守るために必要な「技術」を
一つ一つ内製化していった結果、
一人、また一人と仲間が増えていき
とうとう!
旧の六供町の「六畳ひと間」の
空間ではおさまりきれない状況だったのです♪( ´▽`)
この畳、六畳の空間に↓
人が収まりきれなくなってしまったんです♪( ´▽`)
↓↓
そんな頃からか、
我々三浦太鼓店にいつしか新しい店舗を作りたい!
そんな「夢」ができていきました。
・ある程度の広い場所がいること
・音が出る作業なので街中から外れた郊外がいいなぁ
それを、満たしてくれる条件の場所を
何年も前から探し続けておりましたところ、
ご縁あって、この「本宿」という新たな地とのご縁を頂けたというのが、
我々が「移転」をしてきた理由だったのです。
最後になりますが、
これはどうしてもお伝えしたいことがあります。
店舗を設計するとき、
私が、どーーしても!拘りたかったことがありました。
それは何か?というと、
「太鼓」という楽器が生まれる背景を、
来ていただいたお客様に見て、感じてもらえる設計にすること!
だったんです。
我々、三浦太鼓が代々受け継いできた仕事というのは
ただ単に「太鼓」というカタチを作ることではありません。
150年という歴史の中で、
我々は人の心に伝わる『本物の音』というモノを受け継いでまいりました。
本物とは人の心に響くモノ。
そのために、どうしても必要な技術を内製化してきたからこそ
今の三浦太鼓店があるのです。
何が言いたいか?
我々が心のそこから感動してきた『本物の音』が生まれる
その背景にこそ、本当の価値がある。
製品として完成された、太鼓だけをただ
お客様に渡して満足するのではなく、
そのたった一つの「太鼓」が生み出されるまでにある
・先人達の知恵
・日本の大切な伝統
を少しでも感じてもらいたい、、、
そう思ったからこそ、
ガラス張りの空間と、工房を誰でも見て、歩いて周れルートになっているんです。
お陰様で、新たな環境のもと
今では10人の精鋭たちと『本物の音作り』を日々精進しております。
どれだけ、時代が移り変わろうとも
変わらぬ『大切なモノ』がこの世にはあること。
私は、本当にありがたいことに
この「太鼓屋」という仕事を通して学ばせていただくことができたのです。
先人たちから受けた御恩と、
いただいた感謝は、
もう返したいと思っても、
残念ながら、
みんなお空へ旅立ってしまいました。
だからこそ、今の自分にできること。
それこそが、次の世代へと贈ることなのです。
この場に来て、見て感じていただけるだけで
私にとっては、
先人たちへのご恩返しと同じことなのです(^ ^)
さて、
わたくしごとですが、
この4月からは長男が大学生になりました。
次の世代へ贈ること!
未来ある子供達へと繋げられるように
今日も精進して参ります。
最後まで読んでいただきありがとうございます♬
今日も素敵な一日を(^_−)−☆
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