六代目ブログ
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鏡の法則。~現実とは心の「在り方」~
こんにちは、六代目彌市です。
昨日『カメラ』片手に、
ふらっと当店にお立ち寄りくださった方。
特に、祭りで太鼓を叩いていたり
太鼓演奏者ということでなく、
たまたまHPで見かけて
伝統の『和太鼓』の世界に興味があったので、、、
と、工房に遊びに来てくださいましたm(__)m
せっかく来ていただいたので、
ひとしきり工房案内をさせていただくと、
その方が、ふとこんな質問をされたのです。
———————/
三浦太鼓店さんは、工房も広くてキレイだし
若い社員さんもたくさんいる。
でも、正直
『和太鼓』のお仕事って、
どういうところから注文があるのでしょうか??
———————/
要するに、この方が言いたかったことは
・太鼓のお仕事に『需要』はあるの?
・その仕事でご飯が食べられるの??
っていうことです。
実は、この方に限らず
結構そういう「疑問」をいただくコトあるのです。
『和太鼓』という楽器は、日本の祭りに欠かすことのできない
伝統的な楽器であることは理解できても、
なかなか、一般的にそれを使われているシーンとか
また、それをどんな人たちが使うのか、、、
イメージできないのは当然のことと思います。
なぜなら、
何を隠そう!過去、私自身もそうだったからです。
・太鼓屋に生まれたものの、この仕事に未来があるのか?分からなかった。
その方に、これまで三浦太鼓店が
どんな経緯を経て、こういう状況になってこれたのか
丁寧にお話しさせていただく中で
あらためて私が気づいたこと。
今日は、そんなお話しです。
鏡の法則。
~自分が変われば未来は変わる~
この仕事を受け継いだのが今から25年前。
まだ19歳だったころ。
当時は、本当に仕事が少なくて、、、
五代目の親父はサラリーマンをしながら
ポツポツある地域の祭り太鼓の修理などを請け負い、
『伝統』だけは絶やしてはならぬと、
この三浦太鼓店を繋いでくれておりました。
・工房と言うより、じいちゃんばあちゃんの住まい。
そんな畳六畳の生活空間の隅で、太鼓づくりをしていた。
私の子供の頃の親父の働き方というのは、
今の言い方で言えば、
「本業」がサラリーマンで「副業」が太鼓屋さんということです。
サラリーマンは土日がお休みなので、
その休みを使って、
かろうじてポツポツある地域のお祭りの仕事などを
請け負いながら三浦太鼓店の伝統を繋いでくれていました。
そんな状況で、この太鼓職人の世界に
私は足を突っ込んだのですが、
残念ながら伝統の太鼓屋に生まれたから!
使命感として、太鼓職人になった、、、
というわけではなく、
『将来』何になりたいのか?
という、自分自身の夢や目標が見つけることが全然できなくて、、
フラフラして遊んでいても父に怒られると思い、、、
とりあえず、家業の太鼓づくりでも手伝いながら
次の自分自身の『道』を見つけよう、、、
そんな不純だ動機で始まったのが、この太鼓職人への道のはじまりでした。
・19歳、太鼓屋をはじめたころの私。太鼓屋になりたかったわけではないのは、
このチャラい表情を見てもらえたら良くわかる(笑)
よく、このブログにも登場する
この写真の表情を見てもらえたら一目瞭然です( ;∀;)
別に、太鼓屋になりたかったわけじゃない。
別に、太鼓職人に憧れたわけじゃない。
ただ、自分自身の次の道を見つけるための
足掛けくらいにしか思っていませんでした。
それが、今では
たくさんの社員と共に、この伝統を守り
そればかりか、
2020年より新しい恵まれた『環境』の中で
太鼓づくりができるようになったこと。
・2020年より新たな地、新たな環境で太鼓づくりができるようになった。
なぜ?
そうなれたのか???
そこには
2つの大きな「時代の転機」がありました。
人生を変えた2つの転機。
1つ目の転機は、
新たな時代のニーズが誕生したこと。
私のじいちゃんや、親父の時代までは
和太鼓のニーズ(需要)というのは、地域の祭礼や寺社仏閣が主な取引先。
想像に易いですが、
地域の祭礼行事は多くても年に1回、2回。
丈夫で、長持ちする「和太鼓」は、
一度納めてしまえば、次のお仕事のご依頼は何十年か先の事でした。
そこに、誕生したのが
ご存じ新たな時代のニーズ。
同じ『和太鼓』であることに違いはありませんが、
使われるシーンや場所、
また『楽器』として、
あらたなニーズが生まれたことで仕事が増えていきました。
これが一つ目の転機。
そして、2つ目の転機は、
そんな時代のニーズがおかげ様で増えて行く一方で、
伝統を受け継ぐ側の『職人』は減る一方でした。
このままでは、
受け継がれた大切な伝統が残せなくなってしまう、、、
そこで、我々が取り組んできたこと。
それは、途絶えつつあるその『伝統の灯』を
自分たちの中に取り込むこと、『内製化』することで守るという決断だったのです。
そうやって、
本物の音作りに必要な技術を一つ一つ内製化し、
人を育て、育んできたからこそ
今の三浦太鼓店があるのです。
普段なら、ここまでで
はい!めでたしめでたしのお話しで終わりますが、
今日は、その続きにこそ
大切なメッセージ。
2つの大きな『時代の転機』が
我々、三浦太鼓店に大きな影響を与えてくれたこと。
これは間違いのない事実なのですが、
思い出してみてください。
そもそも、あんなチャラ男くんの
どこからそんな『やる気』があったと思いますか??( ;∀;)
太鼓屋に生まれておきながら
それまで、『太鼓』に何の興味も関心もなかったころ。
そんな若造が、
「主体的」に事業を改革できるはずがありません。
先ほど、2つの大きな転機のお話ししましたが、
実は最大の『転機』は、
自分自身の「転機」があったからなのです。
自分自身の「転機」。
興味関心がなかったと言いましたが、
どれくらいなかったかと言えば、
太鼓屋に生まれながらにして、
まがいなりにも、
太鼓職人として太鼓を作りながらも、、、
まともに「太鼓」を叩いたことがなかったのです。
だから、恥ずかしながら
自分で作る太鼓の「音」さえも、
それが良い音なのか悪い音なのか?
お客様が求めている音なのか、、、?
まったく分からなかったんです。
その時、感じた「決断」が私の人生のすべてを変える決断となります。
自分が作った太鼓の音すら分からない?
恥ずかしい、、、
よし!ならば
太鼓を叩いてみよう!
・2004年に自ら演奏者となる決意をし、和太鼓零~ZERO~を立ち上げる。
そうして、立ち上げたのが
和太鼓零~ZERO~。
そこから、人生は大げさではなく
「180度」変わっていきました。
何が変わったのか?
それは、
太鼓が心から「好き」になれたこと。
なんだ、そんなことか
と、思わないでください。
それこそが、
人生を変えるほどに大きな影響を与えるというお話しです。
先にお伝えした、
我々の業界のように世間や社会の転機によって
もちろん大きな影響を受ける事って
いくらでもあります。
でも、どれだけ世間や社会が変わろうとも
そこに気づく事や、そこにエネルギーを注ぐのは
他のだれでもなく自分自身。
最大の要因は、
世間や社会が変わったことではなく、
自分自身が変わったということ。
世の中が変わったから、、
ではなく、
自分自身の太鼓に対するとらえ方が変わったから
その先の世界が変わっていったという事なのです。
鏡の中の自分が、目指す未来の先の自分だとするならば、
先に、現実世界の私が
笑顔にならなければ、
その先にいる
未来の自分は永遠に笑顔になることはない!ということです。
この宇宙は、
いついかなるときも
特別ルールは適用されず、
自分自身の「在り方」そのものが投影されているようです。
さて、今日も
自分自身の心の在り方を見つめて。
今日も素敵な一日を(^_-)-☆
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