六代目ブログ
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「味噌六太鼓」の誕生の物語り。~そこにあったモノとは!?~
こんにちは、六代目彌市です(^^♪
伊勢湾台風に匹敵すると言われた大型台風10号も、
勢力はずいぶんと弱まったものの、、
まだまだ台風と雨の影響が続いております。
残念ながら、
今日9月1日が「岡崎城下家康公夏まつり」も最終日でしたが
台風の影響を受けて中止の判断。
こればかりは、仕方ありません!
今日まで、祭りの運営、準備
練習などに携わってくださった多くの方々に、あらためて感謝申し上げますm(__)m
このエネルギーは、また来年!
よりよい祭りになるよう溜めていただいて!
よりよい祭りへと繋げていきましょう(^^♪
そんな、今日は
こんな機会も与えていただいた「チャンス」と捉え!
あらためて、
今や岡崎のお祭りに欠かす事ができない存在、
この「味噌六太鼓」の誕生の物語り、
お届けしたいと思います。
何か、モノゴトが誕生する瞬間だったり、
何か、世の中が動き出す瞬間にあるモノとは一体何なのか?
お届けしたいと思います。
「味噌六太鼓」誕生の物語り。
~そこにあったモノとは!?~
私は仕事柄、ありがたいことに
地元三河地域の祭礼のみならず、
今では「全国各地」のお祭り太鼓を作らせていただいたり、
修理させていただいたりしています♪
そんな、各地の祭りに行くと、
いつも強く感じていたことがありました。
それは、
その「地域」には、必ず!
その「地域にしかない魅力」があるということ。
取って付けたような「よその文化」で祭りができている訳でなく、
必ず、その「土地」で育まれた文化が土台にあって
祭りができているということでした。
伝統の祭りには、
必ずその地域にしかない魅力があって、
それこそが「祭り」そのものだったのです。
そんな魅力的なお祭りを、いつか地元岡崎でも作りたい!
そう思ったのが
すべての始まりでした。
そして、「味噌六太鼓」誕生に欠かすことができない
キーマンと出逢います。
それが、この方!
地元岡崎を、祭りをこよなく愛する「祭り男」の本多さん!
地元岡崎愛に溢れ、
そして「祭り人魂」に溢れる本多さんが
いつも、そんな私に
投げかけてくれる「メッセージ」があったんです♪
それが、
———————/
三浦くん!
単に人が集うだけの「イベント」のような祭りじゃなくて、、、
ここ岡崎にしかない、
言うならば、「岡崎固有の文化」でつながる喜び!
そんな祭りを作りたいんだ!
———————/
先にもお伝えした通り、
私は仕事柄、全国各地の祭りに触れる機会があって、、
そんな各地の祭りのにある魅力に触れてきた経験から、
本多さんの言いたいこと、私に伝えたいのか?
とても深く理解できたんです。
でも、いくら「理解」できたからと言って
実際に祭りを創ろうと思ったところで、
何をどうしたらいいのやら分からない、、、、
そこで、指をくわえて待っていても
祭りはやってこない!
ならば!できることから始めようと
私と本多さんがやり始めたのが、
「全国各地」の祭りに実際に足を運んで
・そこにあるモノ
・そこで感じられるモノ
少しでもヒントにつながる何かを得ようと
各地の祭りへ一緒に行くことにしたんです。
そこで、出会った祭りこそ!
「味噌六太鼓」のルーツとなる
愛媛県は四国中央市「土居町」の秋祭りだったんです。
実は、この祭りとの出会いは
この地域の祭りで使われる「長胴太鼓」を、
我々三浦太鼓店が作らせていただく事になったのがキッカケでした。
遠く、愛媛県から
なぜ?わざわざ愛知の三浦太鼓店へご依頼いただけたのか?
そこには、
並々ならぬ地域の方々の「太鼓の音」に対するこだわりがあって、
そこまでのこだわりの「音」♬
果たしてどうやったらお客様の要望を実現できるのか?
これは、いつも
我々三浦太鼓店が大切にしている事なのですが、
「音」というのは、
一つの正解があるわけではなく、
同じ日本語でも「方言」があって
その地域ごとの「言葉」が存在するように、
同じ「太鼓」であっても、
その地域に育まれてきた「音」があるのです。
だから、できる限り
現地の「祭り」を見に行って、その「音」を聞き
体感しなければ作れない、、、
と、足を運んだのがキッカケでした。
その時、感じた「感動体験」こそが!
いよいよ味噌六誕生につながって行くのです。
この地域の祭りは、想像を遥かに越えるモノでした。
何を越えるのか!?
まずは、この「太鼓台」と呼ばれる
神輿の巨大さ!
・台の中心に「太鼓」を据えた、太鼓台と呼ばれる巨大なみこし。
担ぎ棒の長さは12メートル!
幅が4メートル!
高さ4.5メートル!
その圧倒的スケールの大きさから、
何と!重さ!?
2.5トンもあるのです( ;∀;)
あまりに巨大で、かつ重たい「太鼓台」を担ぐのですが、
担ぐと言っても、
その巨大さと重さから、カンタンに担ぐコトなんてできません!
100人の成人男性が、
「全身全霊」のチカラを込めて担ぐことに挑戦するのですが、
これが、何と
100人いても、カンタンには担ぎ上がらないのです。
何度も何度も、挑戦し
「指揮者」と呼ばれる太鼓台の上に登って指揮をする人。
「太鼓」のリズムで、それを先導する叩き手の人。
それを、土台で支える「担ぎ手」となる100人の男衆。
そこに集う全ての人々の、
・息
・心
・魂
その全てが「一つにつながった」瞬間!
これまで味わったことのない
「感動体験」がありました。
それが、これです↓↓↓
写真だけでも、
きっと何か感じていただけるのではないでしょうか?
この時、私の全身に走った衝撃と感動は
今でも昨日のことのように覚えています。
あぁ、
一人でなしえない事も、心ひとつにし
こうやって人と人とが本気でつながりあえば、達成できるんだ。
この祭り!
必ず何かヒントになる!
そう強く、感じた私は
翌年の祭りにあの「本多さん」を連れていく事にします。
2016年のことでした。
この祭りにあるモノは何か?
この熱狂と魅力の根源に何があるのか?
四国からの帰りの道中、
私と本多さんは、強く感じた「何か?」はあるモノの、
その答えがまだ見つからず、
悶々としながら岡崎まで帰ってきました。
あの人たちを、祭りごと岡崎に連れてきて
その熱狂を感じてもらっても祭りにはなる。
でも、それはやっぱり
よその文化であって、我々の文化ではない。
我々は、我々の地にあるモノを
やっぱり見つけて行かないと、、、
そんなことを話しながら
それぞれお互いの日常へと戻っていきました。
そんな、ある日の事。
私の日常である、「太鼓づくり(桶づくり)」をしていて
ふと、思ったんです。
2016年より、自社で内製化しはじめた「桶胴づくり」。
もし、この「桶」が
地元岡崎の「八丁味噌」の仕込み桶の材料で作る事が出来たら?
この地にあるモノを活かした祭りができるのでは?
なぜ?ここで突然「八丁味噌」が出てきたのか?
と言うと、
実は、何年か前から
八丁味噌さんからこんなお話しをいただいていたんです。
———————/
我々が「仕込み桶」として利用している桶は
古いモノで、およそ寿命が150年から200年。
さすがにそれ以上のモノとなると
朽ちてきてしまって仕込み桶として使えません。
これまで、
そうして使えなくなってしまったモノは
再利用と言っても自分たちでは活用方法が特になく
残念ながら「廃棄」してしまうだけです。
地元の企業さんで、
何か有効的に使っていただけるのであれば
お譲りしますのでお声掛けください。
———————/
こうしたお話しは
何年も前からいただいていたのですが、
当時は、そうは言っても
なかなか我々と結びつかなかったのですが、
それが、ある時、
ふと私の「頭の中」でつながって行くのです。
もし、この古い桶を再利用して
太鼓ができたなら、、、
ずっと私たちが思い描き続けてきた、
この「地にあるモノ」を活かした祭りができるのでは。
ないモノを求めるではなく、
あるモノに気づくこと「感謝」こそが、祭りの本質。
さっそく、八丁味噌さんにお願いして
廃棄される予定の古い仕込み桶を魅せてもらう事に。
とはいえ、200という長きに渡って使用され
その役割と、寿命を終えた仕込み桶。
「側板」と言って、
側面の板はさすがに朽ちかけていて、使う事は困難な状況でした。
さすがに、難しいか、、、
諦めかけたその時、
唯一!その中に使えそうな板を見つけたんです。
それがここ!
↓↓↓
それが、「底板」だったんです。
八丁味噌は巨大な桶で、
味噌を仕込み、石積みをすると総重量が「6トン」にもなるそうです。
その重量を支えるための「底板」は、
非常に厚みのある良い材料が使われておりました。
重量を支えるため、
厚みのある非常に良い材料が使われていた。
ここで、一つ偶然がつながります。
我々が、日々太鼓づくりで使っている素材は「杉の木」。
そして、八丁味噌の仕込み桶として
使われていたその材料も、
同じく「杉材」だったのです!
加工になれたその素材、
底板の部分なら再利用できるかもしれない!
さっそく、
底板部分だけを八丁味噌さんから譲り受け、
太鼓用に使えるように製材してみると、
それはそれはキレイな「木目」が蘇ってきたのです。
これなら!太鼓が作れる!
「底!」が味噌だったんです(笑)
そう確信した私は、
いよいよ本多さんに連絡します。
———————/
本多さん!
我々が作っている「桶太鼓」。
もしかしたら、
八丁味噌の古い仕込み桶を再利用して
作ることができるかもしれない!
———————/
そう伝えると本多さんから
こんな質問が。
三浦くん、どのくらいの大きさができる?
と、
私は、即答で
仕込み桶と同じサイズの「巨大」な桶太鼓ができる!
と返事をしました。
すると本多さん、
本当にそんな太鼓ができるなら!
じゃあ、それを
担いじゃえばいいじゃん!
( ;∀;)( ;∀;)
本多さんと一緒に行った、
四国の祭りの熱狂と感動体験。
いよいよ、その祭りと
我々の目指す祭りがつながって行きました。
これは、まだ「味噌六太鼓」が誕生する前に
本多さんが作ってくれた空想の画像です↓↓
本多さん!それだ!
それだ!
それだ!!!!!
それだ!!!!!!!!!!!!!!!!!
まだ妄想の段階ではあったものの、
全てが、つながった瞬間でした。
人は、頭の中で「想像」できたモノはカタチにできる。
言い換えれば、
「想像」できないモノはカタチになることはないのです。
本多さんと私の妄想は
いよいよ「プロジェクト」となり動き出します。
まだ、何一つカタチにする前でしたが、
頭の中で完璧なほどに
「妄想」できてしまった以上、
あとは、その妄想を逆算するかのごとく
カタチにしていくだけでした。
「妄想」をカタチにして行く。
その「カタチ」にしていく中で、
私がどうしてもこだわったことがあります。
それは、
多くの人に「協力」してもらいながら太鼓づくりをするということ。
四国の祭りで感じた感動体験。
それは、
祭りを通して、人と人とがつながる「感動」。
そして、
それはどうやったら実現できるのか?と言えば、、
一人では成しえない「大きなモノ」に挑戦する過程の中にこそある。
・一人では成しえないモノの中にこそ、本当のつながりが生まれる。
本多さんに、最初に聞かれた
———————/
三浦君、八丁味噌と同じ
巨大な太鼓ができるの?
———————/
という問いに、即答で
できます!
そう答えたのは、その理由からでした。
実は、
それまでそんな「巨大」な太鼓
一度も作ったことがなかったのです( ;∀;)
なのに、なぜ?
できる!
と答えたのか。
それは、
一人では成しえない事に挑戦することこそが
人と人とを繋げ、
文化を育む「祭りの根源」であると感じていたからです。
そうやって、
この「味噌六太鼓」は
たくさんの方々との「ご縁」、
ご支援、ご協力をいただきこの地に誕生したのです。
この時、四国で感じた
人と人とがつながる感動体験。
その妄想が、
カタチになったのが「味噌六太鼓」なのです。
———————/
味噌六で一つになる。
———————/
これは、
我々の祭りが目指す一つの『ゴール』です。
現代社会は、地域との関わりもそうですが、
家族ですら「核家族」となり、
その関係性が希薄となりつつある。
そう言われています。
核家族になることなぜ?
関係性が希薄になるのか?
私は、それは
「ご先祖様」とのつながりを感じにくくなるから。
と思っています。
今の自分が存在できているのも
過去の「つながり」の先にあるはずなのに、
現代人は、
どこか「私一人のチカラ」で存在していると勘違いしてしまうのです。
味噌六で「つながる事」の意味は、
人とのつながりを感じることの意味なのです。
もちろん、他者、他人とつながることは
さまざまな「価値観」を共有することになるので
面倒と感じることも増えるのかもしれませんが、
味噌六太鼓が掲げる「葵のご紋」には、
戦国の世に終止符をうち、「天下泰平」を成し遂げた、
徳川家康公の願いのごとく、
どれだけ、時代が変わろうとも
いつの時代も「天下泰平への願い」を忘れず繋げていく心が受け継がれているのです。
最後に、
「味噌六太鼓」がこの岡崎に産声を上げ、
いよいよ我々の妄想が形となった祭り当日。
味噌六太鼓にまたがった私は
本当に、カタチになったんだ、、、
そう感動していて、
ふと担ぎ棒の上に立つ本多さんと目が合った瞬間の写真。
お互いに、
言葉はこそ交わさなかったものの、
この時、互いに感じた「達成感」は
今の人生の宝物です。
さて!
そんな味噌六が誕生して
早くも7年が経ちました。
コロナも経験し、
祭りの形も様変わりしていく中、
今年は「台風」によるやむ終えずの中止の判断。
それでも、
毎年、祭りに関わる様々なメンバーが思考を凝らしてくれていることに
あらためて
心から感謝申し上げます。
また!来年
お会いしましょう♪
今日も素敵な一日を(^_-)-☆
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