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五十嵐さんありがとう。~出会いそれは奇跡の物語り~

こんにちは、六代目彌市です(^^♪

 

人の人生には、誰しも一度や二度、

その人の一生に大きな影響を与えてくれる、、、

そんな出会いがあると言います。

 

私にも、そんな出会いがあったんです。

『秋田桶樽伝統工芸士 五十嵐修さん』との奇跡の出会い物語り。

 

五十嵐さんがお空へ行ってしまって、

あれから何度の夏を越えたのでしょうか、、、、

 

あの夏、初めて見た秋田の「空の青」さ、

 

そして、

五十嵐さんにお会いした時のこと、、、

 

私は、生涯忘れることはないでしょう。

 

はじめてお会いした時の五十嵐さんの後ろ姿。

 

あの時、勇気を振り絞って撮った

このたった一枚の五十嵐さんの後ろ姿の写真。

2015年夏、残暑厳しい八月の秋田からはじまる「真実の物語り」。

 

※このお話しは、過去に

私のブログ記事で何度も紹介してきた物語ですが、

 

今日、9月14日は

そんな大切な五十嵐さんの命日。

 

何年経っても、変わらぬ

その「想い」を忘れぬように。

 

 

秋田の空に、ありがとう。
~出会いそれは奇跡の物語りです~

 

慶応元年(1865年)創業んお我々三浦太鼓店は、

 

初代の頃から日本の祭り、伝統芸能に欠かす事ができない

『和太鼓』の製造を営んで参りました。

 

実は『和太鼓』と一口に言っても、

 

様々な種類、素材

それぞれの地域特有の形だったり「音」があるんです♪

 

 

そんな、数ある太鼓の種類の中に

胴体の素材を「木桶」で作る桶胴太鼓』という種類があるのですが、

 

この桶胴太鼓づくり、

我々は先祖代々、『桶職人』さんのチカラを借りて太鼓を完成させておりました。

 

実は、三浦太鼓店のみならず

多くの太鼓屋さんが今でもそうなんです。

 

「桶」を作る技術というのは、
「太鼓を作る技術」とはまた全然違う道具や材料、

『知識』が必要なので、

 

我々も昔から、桶職人さんの力を借りていました。

 

もともと「桶」「樽」というのは太鼓に限ったことではなく、

風呂桶、すし桶、仕込み桶など、、、

 

我々日本人の「生活」になくてはならない「容器」だったので、

昔は、必ず各町に一軒は桶屋さんがあったんです。

 

だけど近年、

人々の生活から「桶」を使う文化が衰退し、

どんどん桶屋さんが廃業、、、

 

私達も困ってどこか、

桶を作ってくれる所はないだろうか???

 

と、、、、

 

全国各地の同業の太鼓屋さん等に情報を尋ね、

ようやく1件の桶屋さんを紹介していただきました。

 

それが、五十嵐さんの作る「木桶」だったんです。

 

 

それはそれは、

 

とにかく素晴らしい「桶」でした。

 

何が素晴らしいって、

見た目の美しさはもちろんのこと!

 

何より、太鼓にした時の「音」がピカイチ!だったんです♬

 

でも、実はこの時、

五十嵐さんの事を紹介くださった「同業の太鼓」さんを通して

五十嵐さんの桶を仕入れていたので、

 

一体、どこのどなたが
この素晴らしい桶を作ってくれているのか???

 

唯一の情報として、

秋田県にある「桶屋」さんであるということしか

教えてもらえなかったのです。

 

いつかお会いして直接お礼をしたい、、、、

ずっと、そう思ってました。

 

そんなある時のこと。

 

それまで順調に
我々に桶を作ってくださっていた五十嵐さんが、

 

突然、2015年ごろから
製作の納期に遅れが出始めたのです、、、

 

あれ?

お忙しいのかな?

こまったなぁ、、、、

 

 

当時、直接

五十嵐さんから仕入れていたわけではなく、

 

そもそも、どこの桶屋さんかすらも知らない私たちは、

仲介してくださっていた同業者さんに尋ねるしかありません。

 

最近、桶が全然できてきませんが、
大丈夫でしょうか???

 

聞くと、

どうやら腰を悪くされて
数日入院されてしまうとのこと、、、、

 

これは、本当に困ったなぁ、、

 

お客様から納期は迫られるし、

どうししたら良いものか、、、

 

本当に悩みに悩んでいました。

 

それでも、悩んでいても仕方ない。

 

とにかくやれる事を
一つずつやってみようと、

 

まず、どこか他にも良い
「桶屋」さんがあるかもしれないと、

 

そう思って、インターネットや電話帳を使い、

片っ端から新たな桶屋さんを探してみることにしました。

 

それでも、やっぱり
全国どこをさがしても本当に見つからないのです、、、、

 

不安と焦りでいっぱいでした。

 

そこで、私は居てもたってもいられずに

 

何を思ったか、、、

「秋田」へ行ってみよう!

 

そう決意します。
2015年春のことでした。

 


・当時わたしが作った企画会議の資料。

 

 

秋田へ行く目的は「2つ」ありました。

 

1つは、

とにかく今後の先行きが不安で

現地に行けば、新たな桶屋さんなど
何か良い情報が見つかるかもしれないと思ったこと。

 

そして、もう1つは

これまで、我々がお世話になってきた
桶屋さん(五十嵐さん)を見つけてお礼が言いたい、、、

※この時点ではまだ
五十嵐さんというお名前すら知らない。

 

この2つでした。

 

事前の情報収集はネットなどで色々調べ、

秋田に5件の桶屋さんがある事を見つけていました。

 

もしかしたら、

この中に、いつもお世話になっている
桶屋さんがあるかもしれない、、、、

 

そんなわずかな期待を胸に、

調べた桶屋さんリスト抱えいよいよ秋田へ、、、

 

そう思っていた矢先に、ある出来事が起きます。

 

それは、我々に桶太鼓の注文をいただいていた

あるお客様からから、

 

どうしてもこの期日までに

太鼓を間に合わせて欲しいとのご連絡、、、、

 

これは、いよいよ本当に困った、、、

 

このことを当時、仲介くださっていた

同業者さんに伝えると、

 

それでは1日でも早く三浦さんに届くように、

 

我々を介さずに、

桶が完成したら直接、桶屋さんから
三浦太鼓さんへ桶を送ってもらうようにします!

 

そう言ってくださったのです。

 

何ともありがたい
対応に感謝したんですが、

 

同時に、そこから「運命」動き始めます。

 

そう、

直接送ってくださった秋田の桶屋さん

 

そこには、送り主の方が

一体どなたなのか?

 

「ご住所」と「名前」が書かれていたんです!

 

———————/

秋田県能代市
「五十嵐桶樽製作所」

———————/

え!!

もしかしてこの方が長年、

我々にすばらしい桶を届けてくださってた方なの!?

 

まだ決して、ご本人に
お会いした訳じゃありませんでしたが、

このときの
感動は今でも忘れません、、、

 

これでようやく、お会いできる。

 

会ってお礼が言える。

 

私はすぐに、書かれていた住所の宛先

五十嵐さん「お手紙」を書きました。

 

五十嵐さんが作ってくださった桶がどれだけ素晴らしいかということ、、、

そのおかげで今の我々三浦太鼓店あること、、、

たくさんのお客様に喜んでいただけてきたこと。

 

思いのたけを綴り、そしてぜひ一度、

直接会ってお礼が言いたいと、、、

 

これまでの感謝の気持ちと、

言葉にならないほどの想いを手紙に綴りました。

 

そして、お便りを書いて数日後

五十嵐さんご本人からお返事のお便りが届いたのです↓

 

————————————
このたびは、私の作った太鼓の「胴」を
喜んでいただき、お手紙を読んで
とてもうれしかったです。

26日からは仕事で
県外に出張してしまうので
それまでに来ていただけましたら助かります。

暑さも次第に和らいで来るでしょうが、
なにとぞご自愛なさいますようお祈り申し上げます。

2015年8月五十嵐修
———————————

 

これで、

ようやくご本人に会える!

会ってお礼が伝えられる!!

かくして、2015年夏
運命の秋田への旅路が始まったのでした。

 

第二章。
秋田への旅路、2015年夏。
~感動の出会い~

 

どこまでも続く青空と、

どこまでも続く秋田こまちの田んぼ道、、、

 

秋田の第一印象は、

包み込まれるような美しい青空と大地。

 

それは、これから始まる
旅のワクワク感をさらに高めてくれるモノでした。

 

期待に胸膨らませいよいよ到着!

 

ここが、
『五十嵐桶樽製作所』♬

 

決して大きな工場ではなくて、

ご自宅の片隅での桶作りをされてる様子、、、

 

 

緊張とワクワクとドキドキ、

 

とにかくいろんな感情が入り混じって、

震えだしそうな手を抑え、恐る恐る玄関のチャイムを押しました。

 

これはこれは、本当によ~く
遠くから来てくださった。

とにかく中へ
入ってください♬

 

五十嵐さんは気難しい頑固職人!

という印象とは真逆の、

包み込まれるような優しい笑顔で私を迎えてくれたのです。

 

玄関を一歩踏み入ると、

いたるところに桶の材料となる秋田杉たちが、

 

なんとも言えない
やすらかな「香り」を放ってくれていました♬

 

五十嵐さんの桶作りは、

ご自身で秋田杉を「原木」から仕入れるところから作っていること、

 

普段は、関係者をお断りされている

実際に桶づくりをされている工房にも入れていただき、

 

道具の事など、桶づくりに関わる様々なことを

本当に丁寧に教えてくださいました。

 

あげくの果てに、

お昼ごはんまでご馳走になってしまって、、、

 

たっぷりと5時間くらい
滞在させてもらったでしょうか、、、

 

これまで伝えたかった「感謝の想い」を伝えただけでなく、

 

五十嵐さんご自身のお身体の事、、

お一人息子さんはいるけど、仙台の会社へ勤めており
桶作りは継がれていないこと、、、

 

そして、翌日から

奥さんと2人で
北海道へ2週間ほど旅行に行くんだと、、

そんな話までしてくださいました。

 

これが私がはじめて、
秋田を訪れ、五十嵐さんと出逢った夏。

 

2015年8月のことでした。

 

・覚悟と決意

 

秋田からの帰りの飛行機の中で、

ようやく、ご本人に
直接お礼が言えた事による満足感と

 

一方で、やはりお身体の具合のことや
後継者さんがみえないこと、、、

 

お会いできたことは嬉しかったけれども、

桶づくりに対する根本的な課題は解決された訳じゃなく、、、

 

今後のことを考えると
やはりそうした不安はぬぐいきれず想いが複雑に交差していました。

 

そんな悶々とした思いは、

岡崎に帰ってきてもずっと変わらず、、、

 

私は、とうとう決意します。

 

よし!

桶作りを教えてもらおう。

 

五十嵐さんの作ってくださる桶は本当にすばらしい。

 

この先、このすばらしい「音」を守るためには、

ご本人から直接、桶作りの技を教えてもらうしかない。

 

もう、その方法以外に
答えは見つからなかったんです。

 

そこで、

再び五十嵐さんにお手紙を書きました。

———————/

どうか、私に桶作りを教えて欲しいと、、、

———————/

 

私にとっては、

このお手紙を書くこと自体、

送ること自体が、人生をかけた一大決心でしたが

 

その時、五十嵐さんから
いただいたお返事がこちらでした。

———————————

私どもでは仕事を教えることは
考えておりません。

これからも
今までと変わらず「良い製品」を作って
いきたいと思っております

今後ともよろしくお願いいたします。

五十嵐

————————————

 

あまりに短く、

率直に、「お断り」されてしまったお便りを読み、

 

私は、

・職人の世界の厳しさ

・一つの道を極めることの難しさ

 

太鼓屋として、少なからず様々な経験を
させてもらってきた私自身だからこそ、

 

この、五十嵐さんからの
短くもストレートなお返事がとても心に刺さり、

それ以上「お願い」することをしませんでした。

 

正確に言えば、

これ以上お願いすることはできなかったのです。

 

ここで、多くの人は諦めるでしょうね。

でも、

私は諦めませんでした。

 

我々が信じる、

大切な「音づくり」の原点は、その「技」の中にしかない。

 

直接お会いできたことで、

より一層その事を深く理解できていた私は、

 

五十嵐さんに直接習えないのであれば、

何とか別の方法を見つけようと、、、

 

三度、全国の

桶屋さんを探してみよう、、、

 

そんな時に、

神様は現れます。

 

なんと!?

地元愛知に桶職人がいるという事を

とあるテレビ番組放送をキッカケに
知ることになります。

 

それが、後に私の直接

「桶づくり」を教えてくれることになる愛知の桶職人、

「師匠」永谷さんとの出会いでした。

 

第三章。
師匠との出会い

 

テレビ番組をキッカケに知った桶屋さんは、

愛知県、西尾市一色町。

 

偶然にも、街を散歩しながら魅力を発見する!

そんな趣旨のテレビ番組がキッカケで
その存在を知ることになった桶屋さん。

 

代々、この地域で桶づくりを受け継ぐ

「永谷浴槽」の永谷さん御年八十二歳。

 

 

本当に神様のお導きなのか?

運がいいことに、地元愛知で距離も近かった為、

 

すぐに、直接訪ねてみることに、、、

 

また、断られてしまうのでは、、、

五十嵐さんからお断りされた時の瞬間が脳裏によぎりながらも、

 

これまでの「事情」を丁寧に伝え、

私に「仕事を教えてくださいませんか?」

 

恐る恐る尋ねると、

 

永谷さんは、

事情はわかった。私でよければ、力になろう。

 

なんと!?
快く教えてくださることに、、、、

 

こうして途切れかけた糸が、

何かに導かれるように
一筋の奇跡のようにつながっていきました。

 

・いよいよ始まる修行生活。

 

永谷さんは当時83才でした。

 

お年こそ高齢でしたが、

ま~とにかく元気元気!!

 

手だけではなく、

足まで使って、

 

竹や木を自由自在に扱い、

それはそれは器用に桶を仕上げる様子を見て、

こういう先人の「知恵」こそ!
後世に残さなければならない伝統だ!と、

 

私は改めて、確信しました。

 

そんな師匠に手取り足取り習いながら

ようやく完成させた桶太鼓。

 

自分自身の手で手掛けた念願の桶太鼓第一号!

2016年一月のことでした。

 


・師匠と完成させた念願の第一号。

 

 

・いよいよ決断のとき。

 

 

このころ、五十嵐さんは

再びお身体が悪いという事で

 

特に、腰の状態が良くない、、、

そう聞いていたんですが再び入院されてしまうとのこと、、、

 

まだまだ「桶太鼓」を待ってくださっている

お客様がたくさん控えていたので、

 

もうこれ以上待っていられない、、

この先の注文は全て自分で作る!!

 

と私は決意しました。

 

 

 

「決意」と言えばカッコよく聞こえるかもしれませんが、

 

———————/

自分でやる!

———————/

 

それ以外の道がなかっただけなのです。

 

最後に人の背中を押すモノってきっと、

本気の「覚悟」なのでしょうね、、、

 

やるか、やらないか?

できるか、できないか?

 

じゃなくて、やるしかなかった。

 

とにかく、必死でした。

それでも楽しかったです。

 

桶作りの経験も、

知識も技術も何もなかったですが、

この道を積み重ねれば、

必ずや自分たちが
めざす「音づくり」へのゴールにつながっている。

 

その「確信」だけが
わたしの心を突き動かしてくれました。

 

結果的に、2016年1月からスタートした私の桶作り、

師匠と共にその年、一年間で

何と!?「100台」もの自作桶を完成させることができたのです。

 

少しずつですが
一筋の光が!

『希望の光』が見えてきた!

 

ようやくそう思えるようになった矢先に、

信じられない試練が、天から訪れるのです。

 

 

それは、あまりに突然の出来事でした、、、、

 

最終章。別れ、悲しみは突然に。

 

それは、

今年のように残暑厳しい、2016年9月のことでした。

 

 

師匠「永谷さん」と共に、

桶づくりに没頭する日々の中、

 

プルルルル、

プルルルル、、、

 

店に鳴り響く一本の電話のベルの音。

電話のお相手は、五十嵐さんの奥さんからでした。

 

あれ!??

何で奥さんからお電話が、、、

 

私は、この時とても「嫌な予感」がしたのを
今でも鮮明に覚えてます。

 

それは、

あまりにも突然の訃報でした。

 

お身体が悪く、入退院をされているのは知っていましたが、

 

まさか、それほどまでに悪かったとは、、、

本当に全くわからなかったんです。

 

お電話の向こうで奥さんが泣きながら私にお話しくださいました。

 

11年前にガンを発症したこと。

 

それが5年前に再発していたこと。

 

前立腺がんというご病気で、

お腹の痛みが
腰まで広がっていたため

常に腰が痛く、

腰痛の原因はがんが原因であったこと、、、

 

言葉になりませんでした。

 

 

そして、
わたしは居ても立っても居られず、、

再び秋田へ訪れます。

 

2016年の冬のことでした。

 

・悲しみの秋田再訪

 

 

そこには、

五十嵐さんの姿はもうありませんでした。

 

 

仕事場には、作りかけの桶の材料が
まだそのまま立ててあり、、、

 

我々三浦太鼓店から注文させてもらっていた

FAXの注文書だけが、
そのまま工房に置かれていました。

 

 

この時、

五十嵐さんの奥さんが、

私にそれまで知らなかった様々な真実を教えてくれました。

 

———————/

去年三浦さんが来てくれた次の日から二週間、夫と二人

北海道へ旅行に行きました。

 

病の痛みと戦いながらたぶん、本人は最後の旅行になる

そう決意していたんだと思います。

そして、お父さん

本当は三浦さんに桶作りを教えたかったんです。

 

自分自身の身体の事があって、

人に教えられるほどの状態じゃなかったので一度はお断りしました。

でも、必ず元気になって桶作り教えてあげたい、、、

むしろ、お父さん

元気になって、

三浦さんに桶づくりを教えられるようになるんだ!と、、、

それが、唯一の心の励みだったんです。

———————/

 

そうだったのか、、、

 

 

悲しみというより悔しさばかり。

 

せめて、

もう一言だけでも
直接お会いしてお礼が言いたかった、、、

 

私は、

奥さんにこの時
初めて自分が桶作りを始めた事、

 

いつか、五十嵐さんに教えてもらいたいと、

リベンジしようと考えていたことを伝え、

悲しみが癒えぬまま秋田から愛知へと帰ってきたのでした。

 

 

そんな悲しみの日々を過ごす中、

地元愛知に帰って数日が経ったころ、、、

 

突如、五十嵐さんの奥さんから、こんなお手紙が届いたのです。

 

———————/

去年の今頃、

まさかお父さんがいなくなるなんて

私自身も考えもしませんでした。

そんな中、

最後の最後に、三浦さんに出会えたことの意味。

 

もう少し、お父さんの身体が悪くなければ、、、

そう思うと、とても残念でなりません。

———————/

そして、

奥さんからのお手紙の最後に、
何とこのような事が書かれていたんです。

 

 

もし、三浦さんがお時間をとることができたら、

———————/

お父さんの仕事場で桶を作ってみませんか?

———————/

 

長年、私はお父さんのそばで
ずっとお父さんの桶作りを見てきました。

材料も、道具も揃ってます。

実際に、うちにきて
桶を作りながらお話しできたら

何かつかむことができるんじゃないかって、、、

そして、
お手紙の最後にはこう綴られていました。

 

 

よくお父さんは、言ってました。

モノづくりをしている人に
一番大切なことは、

カンの良さ、

のみこみの早さ、

絶対に手を抜かず、ていねいなモノを作る。

人が作れないモノを努力して作れるようになる事。

三浦さんに、
私が見てきたことこと、聴いてきたことを

伝えられたらと思ってます。

もし、よかったらいつでも
私はお手伝いしたいと思います

五十嵐祐子

————————————/

 

悲しみに中に再び一筋の光。

言葉にならぬ
希望をこのお手紙からいただきました。

 

そして、2017年6月。

 

3度目の秋田への旅で
私はとうとう夢を実現したのです。

 

ここは、

あの憧れの五十嵐さんの工房。

 

 

でもなぜ?

ご本人がいない今、

わたしがこうして
この場所で仕事をさせてもらえているのか???

 

不思議で仕方ありませんでした。

 

五十嵐さんの奥さんは、本当に丁寧に細かく

桶作りのことを私に教えてくれました。

 

 

こうして、

私の秋田の止まっていた時間が再び動き出しました。

 

まだまだ駆け出しとは言え、

少しずつ師匠の元で桶作りを積み重ねてきていたので

 

これまでの自分のやり方と、

憧れの五十嵐さんのやり方、

いったい何が
どう違ってあの「音」が生まれているのか?

 

感じられる感覚をすべて研ぎ澄ましながら

そして、

大切な五十嵐さんの道具も使わせてもらいながら

 

わたしはこの時、

2台の桶を完成させたのです。

 

 

こうして
五十嵐さん奥さんのお陰で

とうとう、
念願だった五十嵐さんへの夢が叶った瞬間でした。

 

秋田での桶づくりを終え、

秋田からの帰り道、五十嵐さん奥さんは、

こんなお話しをしてくださいました。

 

———————/

三浦さん、

夢を叶えるということは、

自分が 自分として生まれてきた目的を果たすことです。

———————/

 

 

人は、何かその人にしかできない

「役割」を必ず持ち、この世に生まれてくると言います。

 

「夢」っていうのは、何かすごい事をすることでは決してなくって

夢を叶えるとは、

その人自身がこの世に生まれた役割をきちんと理解し、

その意味、目的を受け止め行動しつづけることだと、、、

 

そう教えてくださいました。

 

人としてこの世に誕生し、

自分自身の「夢」の先が、誰かの役に立てるようになる事。

 

人生においてこれほど幸せな事ってありませんね。

 

そして、亡くなられた五十嵐さんのお仏前には、

あの時、はじめてお会いしたままの!

あの優しい笑顔のお写真とともに、

 

ご自身の「修」というお名前、

そして職人としての生き方を添えこんなメッセージが飾られていました。

 

 

——————–/

「修」得した技術を

広く役立てて欲しい、、、、

大空からありがとう。

———————–/

 

五十嵐さんと出会い

桶づくりという日本の伝統のモノづくりを通して、

 

私は、人生を生きる「意味」そして、

「役割」があることを私は教えてもらう事ができました。

 

「本物」のモノづくりの中には

「本物」の生き方がある。

 

「本物」とは、人の心に届くモノ。

 

私が、一番最初に五十嵐さん桶を見て感じた「感動」というのは、

単に職人としての「技」ではなく、

 

そんな「生き方」が桶から溢れていたからなのだと、

改めて気付かされました。

 

 

 

「伝統」それは

辞書を引けば

———————/

時代を越えて、脈々と受け継がれるモノ、、、

———————/

と、あります。

 

時代を越えて受け継がれるモノには

やっぱり受け継がれるべくして
受け継がれる「理由」が必ずあるんです。

本当に大切なモノは残されるし、

そうでないモノは残されないのです。

 

これはモノも、人の生き方も同じです。

 

今、私の桶作りの道具はすべて

2人の大切な師匠の形見として

受け継がせてもらったモノたちばかりです。

 

 

ホンモノにこだわり、

生き抜いた『秋田桶樽伝統工芸士 五十嵐 修』という、

一人の人生。

 

そして、受け渡されたバトン。

 

その大切なバトンですから、

今度は私自身が後世へつなげられる「生き方」をしていきたい。

五十嵐さんの奥さんは言います。

———————/

三浦さん、

本物とは、人の心に届くモノ。

だから、

そこに言葉はいらないんですよ。

———————/

 

五十嵐さん亡きあとに、

奥さんから伝えてもらったメッセージが

 

今も私の人生の支えになっています。

 

 

 

五十嵐さん、ありがとう。

秋田の空に、ありがとう。

 

 

令和六年九月吉日

株式会社 三浦太鼓店

六代目/三浦彌市

 

———————/

・あとがき

物語りを最後まで読んでいただき

本当にありがとうございます。

 

2016年より、自社ではじめた桶づくり。

あれから三浦太鼓店では、

毎年、約130台ほどの桶太鼓のご依頼を受けつづけ、

2024年9月時点で『1078台』の新しい桶太鼓がこの世に誕生しました。

 

これは決して商売として、

モノがたくさん売れて嬉しいとか、儲かったという話ではありません。

 

本物とは、人の心に響くモノ。

 

どれだけ時代が変わろうとも、

我々先人たちの「生き方」「生き様」の中に

真実の豊かさのヒントは隠されている。

 

私はそう思っています。

 

これからも、

「人の心に響く」そんな音作りを通して、

いただいた大切なモノを活かし世の中のお役に立っていきたい。

 

 

憧れの背中を追いかけて。

 

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この記事を書いた人

  • 三浦 和也(六代目彌市)

    三浦 和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

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