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「言えなかった真実。第二章」
今年のゴールデンウィークは
「ステイホーム」。
4人の子供たち、
お家にいても本当にお利口さんで、
いろいろ助けてくれる。
あぁ、4人産んで良かったなぁ~って
言ったら、
産んだのはあなたじゃない!( ;∀;)
産んだのも育ててくれたのも
全て嫁さんのお陰です( ;∀;)
さて、シリーズでお届けしております物語り。
「言えなかった真実。」のいよいよ
今日は第二章です。
第一章を見逃してしまった!という方は
まずはぜひこちらから>>>
「言えなかった真実。第二章」
究極の太鼓 「璨」(サン)
~五十嵐祐子さん(奥さん)からのお手紙~
お父さんが 作りたかった 職人として
最後の太鼓。
それは、
いったい どんな太鼓だろうか??
お父さんは その太鼓から どんな音色を
考えていたんだろうか?
心の中でイメージを どんどん膨らませていたのでしょう。
そこに、「夢」と「希望」が大きく広がっていたのでしょうね。
「あぁ」 私は早く そのあなたの想いを
この からだ全部で感じたい。
お父さんの想いを形にするには どうしたらいいのか?
私は この本から お父さんの 心の魂を
導き出すことが 本当にできるのだろうか?
喜びと不安、責任の重さが、一気に
私の心の中に 押し寄せてきました。
その反面、二人で戦っていた時の情熱が
かけめぐって 今 私をふるい立たせていることを
私はすでに気がついています。
これは もう やるしかない 使命感を
深く かんじている もう一人の私がいます。
お父さん あなたの想いは 私 言わずとも
全部分かっています。
普通は入院中の あの苦しい痛みの中
考えられませんが、
お父さんは 最後の チャンスにかけたのです。
そこには、 亡くなる一年前に
「三浦和也」さんと 出会えたことが
一度はあきらめかけた お父さんの心を
もう一度 太鼓を作りたい、、、
思いへと 夢へと
そして
二人の明るい「希望」へと向かわせたのです。
職人として 最後まで こだわり続けた
お父さんの だせる「音色」。
太鼓に込める 心の深さ 手間
ひまをおしみなく
これでもか、 これでもか、、、と
細部まで 心を配ることの大切さ
手間をかさねる 見えない部分にこそ
気くばりを おこたることは いけない。
小さなことの 積み重ねが
大きなことにつながって
大切なことが 見えてくるものなのです。
人の手が 生みだす 技をみがくこととは
決して
自分の歩いてきた道が 誰かが
選んできた道でもない
自分が選んだ道ならば
心を決して 揺らぐことなく最後まで
己の生き様が 造りだす太鼓の「音」に
何の迷いもなく まっすぐに つながっていると
私は感じます。
あの音は 誰にも 出せるモノではありません。
お父さんの人生をかけた「心の音」だから
本物の職人の人生すべてです。
人の心は、にらの葉に包まれる
人の心は、繊細でこまやかであることです。
職人には もっとも 必要なことだと
お父さんが私に教えてくれました。
心が美しくなる 言葉です。
そこに 感情 感覚 感性が生み出す
技が生きてくるのだと
必然的に導かれる 結果だと思います。
「究極の太鼓」のことを 考え続けていた
お父さんは どんな思いだったんだろうか?
しあわせな気持ちで 心の中は
どんなにか 満たされていたのでしょうね。
職人が最後まで
仕事をまっとうすることができただけでも
お父さんは しあわせな気持ちだったと
私は せめて 思いたいのです。
お父さん、
だけど 本当は 私
造りさせてあげたかった。
そして
二人で仲良く 作りたかったね。
できあがった太鼓を 二人の目にしっかり
やきつけたかった。
それができたら どんなに
しあわせだったろうね。
でも、
その想いを しっかりとつなげてくれる
三浦さんと出会えたこと まさに
それこそが 運命だと 私は 強く感じています。
人は誰しも 人生の中で
やりたいことの全て
全部やりとげることはできず、
この世に残していくのかもしれません。
それを 後に残った人がつなげていくことを
私は 身をもって 知ることができました。
誰かの想いを形にする。
その人の心が 生きたい方向を見る事が大切だと思います。
サン=テグジュペリ 「城砦」
の中から「交換」という思想があります。
人間は 何かの仕事に打ち込んで
自分のすべてを それに捧げる事によって
自分の「生命」を それと交換するのだと言う。
その仕事が職人であろうと
刺繍であろうと 何でもいい。
ともかく 我を忘れて努力を積み重ねるうちに
そこに その人間よりも
「永続的な価値」のあるモノが生まれ
その人間は やがて老いて死ぬが
死ぬとき その両手は
「星で一杯なのだ」という詩的な言葉が
記されている。
私は 私なりに
仕事というものの持つ意味を
経験させられたように感じました。
「星の王子様」の著者
サン=テグジュペリの考えは
人は 小さな自分を何か
大きなモノに捧げる事によって
自分の生命を そのものと交換するのだと。
ささげれば、ささげるほど
自分は小さく無になっていくけれど
自分をささげた対象によって
限りなく 「ゆたかに」なっていく
「城砦」の中で 繰り返し述べている
交換の思想は ものすごく深いものを
持っていることを知りました。
そこに、私は
お父さんの運命を強く感じました。
捧げると言うと
いかにも気負っているように聞こえますが
たしかに使命感に生きる人は
みな努力家の一面を持っているが、
別の面では ただ そうぜつには
いられないからやるのだという面を
そなえているように 私は思えてなりません。
必ずしも 「利益」や「結果」を期待して
いるだけじゃなく 無償性です。
これは「使命感」という
本来 それを抱く人の 性格や本性
そのものからの発露かもしれませんね。
どのような 立派な使命感でも
他人からの 借りものでは ぴったりせず
無理があります。
決して長続きはできません。
人間はただ 背伸びしては苦しくなるばかりです。
使命感とは それを持つ人にとって
ごく自然であり 当たり前なことで
さりげないことだと思います。
人は自分をみとめてくれる人と
出会えた瞬間こそ
人生の中で 一番のしあわせを
感じる最高の時間だと思います。
誰もが 感じられる事でもありません。
その瞬間に お父さんは 忘れかけていた
情熱が もう一度 沸きあがったのだと私は思うのです。
男として 最後の「夢」にかけたのです。
最後まで 職人として
あるべき姿を貫き通した 本物の職人でした。
そばで見てきた 私だから言えること
それが すべてを 物語っています。
お父さんが 最後に挑戦したかった
「究極の太鼓」
その想いを三浦さんは、
つなげてくれると言ってくれた。
こんなことって あるのかしら、、、
本当に奇跡の出会い なくしては語れない
やはり 会うべき つながるべき
三浦家と五十嵐家のご縁だと思います。
究極の太鼓に 私は
「璨」(サン)と名付けました。
「璨」(サン)というのは
玉の光輝くさまを表現した言葉で
「美しさの極み」という意味です。
きわだって 輝かしいさま
鮮やかに 輝くさま
極みとは 物事が行きつく極限
まさに究極の生きつくさきだから
職人としての最後の
描きたかった太鼓なのでしょうね。
もはや 知るコトは
今となってはできませんが
感じることは いくらでもできます。
そこから、
私の情熱に火が付きました。
私はまず 形から入る人です
太鼓は 三浦さんの感性を私は信じているから
大丈夫です。
まず、最初の大切なポイントは
「名前」が一つ目の大事なカギであると
考えました。
それは、「究極」を越える
名前でなければ 太鼓のイメージが湧いてこないと
思ったのです。
「璨」(サン)と決まったことで
三浦さんの心の中で、三浦さんなりの
思いの中で「覚悟」が決まった瞬間を
私はみのがしませんでした。
三浦さんとの電話やブログのお話しの
言葉のやりとりで、
三浦さんが少しずつ変わっていくのを
私は信じて待ちながら、、、
私はあのお父さんが亡くなる一年前
三浦さんへ出したあの手紙に隠された
「真実の想い」を
今やっと話せるときが来たのです。
「言えなかった真実。第二章」終わり。
第三章へと
つづく。
今日も最後まで
読んでいただきありがとうございました(^^♪
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