六代目ブログ

伝統発信ブログ

「言えなかった真実。第三章」

こんにちは、六代目彌市です(^^♪

実は、次男坊です。

次男坊というのは、
長男が怒られているのをわき目で見ながら

要領よく「生き延びる」すべを
やしなっていく。

基本的に甘えん坊で
怒られるのが怖いから

世渡り上手で、お人好し( ;∀;)

そんな話はどうでもいいですね(笑)

 

 

さて、シリーズでお届けしております物語り。

 

「言えなかった真実。」のいよいよ

今日は第三章です。

 

前編を見逃してしまった!という方は
まずはぜひこちらから>>>

「言えなかった真実。第一章」

「言えなかった真実。第二章」

 

 

では、早速つづきをどうぞ♪

 

「言えなかった真実。第二章」
究極の太鼓 「璨」(サン)

~五十嵐祐子さん(奥さん)からのお手紙~

 

———————————-/

あとで、かならずわかることが
大きな「意味」につながる。

職人には 必要なことなんだよ。

————————————-/

 

私はあのお父さんが亡くなる一年前

三浦さんへ出したあの手紙に隠された
「真実の想い」を

今やっと話せるときが来たのです。


この手紙に隠された真実の想い。

 

あまりにも 「シンプル」だけど
あの短い 文章の中には

お父さんの
喜びと くやしさと 楽しさと 悲しみと

人間のさまざまな 感情が 全部
組み込まれた文章だったんです

三浦さん

私があの時 お父さん 本当にこれだけで
いいの?

と言ったことに お父さんは
私に こう言ったのです。

 

おかあさん よく聞きなさい

今は 分からなくてもいい

俺は 愛知から能代まで
わざわざ 愛に来てくれた三浦さんと

いろいろ話しながら思った事が
いっぱい心の中にあったんだ。

三浦さんなら かならず その意味を
受けとることができる 男だよ

と、言ったのです。

あとで、かならずわかることが
大きな「意味」につながる。

職人には 必要なことなんだよ。

 

それを 三浦さん自身が
自分で気づいていく事で

さらに職人のあるべき道へ 進んでいけるんだよ

 

 

おかあさん おれは 三浦さんが
そうなってほしいんだ。

とお父さんは話していました。

 

私は その時 思いました。

きっと、お父さんは思ったのでしょう

三浦さんは お父さんの「未来」であり
未来はお父さんの「夢」であり「希望」

それを 三浦さんの中に見えたんだと
私は思いました。

これが 三浦さんへ
桶作り「教える」ことは

かなわなかったけれど、

せめて お父さんなりの
三浦さんへ かならず一人前の職人として

がんばってほしいと

自分なりの、精一杯の気持ちでいっぱいだったのです。

 

今も、変わらず
三浦さんへ お父さんはエールを送っているでしょう。

 

いずれは 分かっていく事を
あえて全部話すことよりも

自分自身で
そのことを気づいた時に

はじめて話されなかった本当の「意味」が
何倍にもなって 深く心に残ることを

お父さんは 知っていました。

 

今、やっと 三浦さんへ話すことができました。

あの時 言えなかった 「真実」です。

 

三浦さんの想いを
私たちは 分かっていました。

分かっていたのに 答えてあげられなかった
二人の想いのすべてです。

お父さんの深い思いを
どうか 三浦さん分かってあげてください。

わずか残り少ない 命の日々を
その時点で「6ヶ月」とは、

お父さんには 知らせていませんでした。

 

 

 

最後の力をふりしぼり
「究極の太鼓」へと大きな夢をいだいたのです。

すごい人だと思います。

 

最後まで 人は 生きたいと思う力強さを
持ち続けることができる事を

私はお父さんから 教えられました。

だから こそ 私は
「究極の太鼓」にふさわしい名前に

こだわったのです。

私は 今まで 何かを一筋考えている
その先に かならず 見えているのが

まぶしいほどの 「光」なのです。

 

 

誰かに 無言でまよわず 前へ進め!

と、言われているように感じます。

 

究極の太鼓 「璨」(サン)

これ以上の名前はないと思います

 

そして

その想いを きちんとキャッチしてくれる
三浦和也さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。

 

お父さんの夢が 三浦さんの夢へと
たしかに一本の線でつながった瞬間です

そして 完成した 究極の太鼓への第一号

三浦さん あなたの愛が溢れる
あなたの造りあげた太鼓

太鼓には 造る人の想いが込められています。

そこには 言葉など 何もいらない

ゆっくりと 心で感じる しあわせを
私は 三浦さんから 受け取りました。

 

そして 太鼓として
全部の工程を完成した時の

究極の太鼓の「音色」

私は1日も 早く聞きたいのです。

 

そして お父さんへ 話してあげたい

 

あの人に 自慢してあげたい

私は 今も この場所で
自分らしく 生きているんだよ

そして あなたのおかげで、私は今
こうして 三浦さんと つながることができたことを

何よりも しあわせですよと
お父さんへ伝えたい思いでいっぱいです

 

—————————————/

 

2015年8月

それは 突然 届いた 1通の手紙から
始まった 物語りである

その頃 私たち二人は お互いに
複雑な思いを 心に ひめながら

長い間の 二人の夢だった 北海道の旅にむけて
あわただしい 日々を送っていた

そんな矢先のことでした。

 

その頃とどいた 三浦太鼓店六代目
三浦和也さんからの あふれんばかりの

熱い想いのこもった お手紙が
私たちのもとに届きました。

三浦さんからの お手紙を読んだ
私たち二人の大きな喜びと感動は

今でもよみがえり
決して 忘れることはできません

何度も 何度も 読みました。

太鼓の命は「生きた音」

まさに その通りだと思います。

お父さんの太鼓の音を
「本物」だと そう認めてくれた

三浦さんと出会えた喜びに
心がふるえ しあわせな想いでした。

職人として
これほどの喜びはないと思います。

 

人柄の良さと、 それだけ
太鼓に向ける 強い想いに

とても好感を持ちました。

私たちも一日も早く
三浦さんに 会いたい気持ちで

あの日を待ちわびていました。

今、思えば あの幸せな時に
もう一度 もどれるなら もどりたい

三浦さんに

もう少し早く出会っていたら

どうなっていたでしょう??

時は 私たちの 命の根源に思えました。

8/24日 午前11時頃
三浦さんが 我が家にこられました。

 

私は 入ってきた その瞬間に
私は 感じたのです。

 

この人は かならず また家へくる

と、直感的に思いました。

お父さんに そのことを話すと
お父さんは 私の目を見て

おかあさんの直観力は
当たるかならぁと言って 笑いました(^^

次の日 私たちは
生前最後の北海道へ お父さんと2人

旅行へ出ました。

——————————————/

 

 

長い物語り
最後まで読んでくださり

本当にありがとうございました。

 

「人生」とは?

「生きる」意味とは?

こんな時代になって
ますますその事を私はこれまで以上に

強く、そして深く考えるようになりました。

五十嵐さんとの出会いは
私にとっては、まさに「人生」そのもの。

 

言葉ではなく
「心」に伝わるモノこそ

本物なんだよという事を、

 

その生きざまを通して
私は学ばせていただきました。

 

 

物語りは、これからも続いていきます。

 

人の命はいつかはなくなる。

でも、

人の「想い」は永遠に生き続ける。

そして、その「想い」は

本物の想いは、
必ず次の世代へとつながっていく。

そう確信しています。

 

 

物語りの最後に、

私が はじめて五十嵐さんに会いに行く直前に
書いたお手紙を掲載して

この物語りを終えたいと思います

 

————————————–/

五十嵐 修様

 

はじめまして、いつも大変お世話になっております。

突然のお便り失礼いたします。

いつも本当にお世話になっておりながら

〇〇商店さんを通してのご縁だったので
こうして直接お便りすることができず、

お礼もお伝えすることができず、はがゆい想いをしておりました。

どうしても一度直接うかがいたい、
そう思い秋田県の桶屋さんをいくつか探し当て

その住所をもとに実は近々秋田へ探しに行こう。

そう思っていました。

そんな矢先に我々の桶を作ってくださっているのが

秋田県、能代市の五十嵐さんだと知り
これは何かの運命だと強く感じました。

私が自分で探し、
いくつか候補した秋田県の桶屋さんの中に

五十嵐さんの名前があるか?

すぐさま確認したところ一番最初に伺ってみようと思った
桶屋さんが五十嵐さんだったのです。

なぜ私が五十嵐さんにそこまでしてお会いしたいか、
今日はその事をお伝えしたくて筆をとりました。

まとまりのない文章で申し訳ありませんが、
お読みいただけましたら幸いです。

私ども、三浦太鼓店は今年で
創業150周年を迎える愛知県岡崎市にある太鼓屋です。

先祖代々ここ地元岡崎の地で仕事をさせていただき私が六代目彌市です。

ご存知のとおり、
伝統産業をとりまく状況は厳しいです。

太鼓の需要も地域の祭礼や伝統芸能が数年前までは主で、
主と言うよりそれしかないという状況でした。

それが数年前から和太鼓の業界は新しい需要、
ニーズが生まれ始めました。

伝統芸能に対し創作和太鼓と言われる世界で、
太鼓を楽器として幅広い演奏活動に使っていただけるようになりました。

時代の変化とともに、
和太鼓の需要と人々のニーズそのものが変化してきました。

伝統は守るだけではいずれなくなってしまう。

これだけ時代が大きく、
変化している時代ですので、人々のニーズも多様化しています。

守る事はもちろん大事ですが、
その中で時代に合わせた変化をすることが

私たちは同じだけ大事な要素だと常々考えて仕事をさせていただいています。


伝統を守り、伝統を創る

 

これが私たちが掲げる経営理念です。

しかし、新しいモノを作る上で
大切にしなければならないことがある。

私たちはその事を受け継がれた古い太鼓、
伝統から学ぶ事が出来ました。

それはもしかしたら、
今の時代の日本人がわすれかけてしまった大切な要素だとも感じています。

伝統とは先人たちの知恵。

受け継がれるモノには受け継がれる理由がある。

だから現代になおその魂が息づいている。
私はそう思っています。

古い太鼓の修理をさせていただく事がよくあるのですが、
200年300年さらに古いモノになれば500年も前に作られた太鼓だってあります。

みなすべて現役です。

これだけ世の中が豊かになり、モノに溢れ、
何不自由もない暮らしの中ではありますが

500年続くものっていったいどれだけあるでしょうか・・・

私には、なぜ
目の前の太鼓が500年大切に受け継がれたのかその理由が分かりました。

それは、たった一発の「生きた音」が宿っていたのです。

古い太鼓ですから見た目はボロボロ、
カタチはいびつ

それでもその太鼓の音は活きていました。

ああ、生きた音は人と人をつないでくれる、
人と自然をつないでくれる

その音がはっきりと見えてきたとき、
わたしは現代の人たちに

その事をきちんと伝える役割をいただけたのだと感じました。

桶太鼓、過去にも地元の職人さんをふくめ自作桶など
いろんなことに挑戦してきました。

そこで出会えた五十嵐さんの桶。

全く違うのです。

単に仕上がりではありません。
先にも伝えたとおり、太鼓の命は『生きた音』

太鼓にした時に、五十嵐さんの桶胴は
圧倒的なこの生きた音を奏でてくれるのです。

なぜ、五十嵐さんの桶がここまですばらしい音を奏でるのか?

その理由が知りたい、

そして一度どうしても直接お目にかかってその話を伺いたい。

祭り、太鼓の音は人々の心を豊かにします。

たくさんの人の心を豊かにする音を作り続けたいのです。

五十嵐さんの桶に出会えたこと、
こころから感謝しています。

そしてこれから先、
このすばらしい音をもっともっとたくさんの人々に届けたい

私は今そんな夢を抱いています。

伝統芸能を取り巻く環境は厳しいです。
時代の変化とともに生き残るのが必至です

でも、
受け継がれたモノ、先人たちの知恵の中には

私たち日本人がぜったいに失ってはいけない確かな豊かさが存在している

私はそれを今とても強く感じています。

 

だからこそ、絶対なくしたくないし、
その大切さを多くの方々に知ってほしい。

そう思っています。

どれだけ想いを伝えてもまだまだたくさんの想いがあって
伝えきることができません。

今月末、秋田へ伺いたいと思っています。

8月24.25

8月27.28.29

あたりでと考えていますがご都合お聞かせいただけましたら幸いです。
突然のお便り大変失礼いたしました。

積み重ねられた歴史と知恵、失うのは簡単。
失うのは一瞬です。

激動の時代において残すということは本当に難しいです。

しかし、だれかがそのチャレンジをしなければ本当に失われてしまう。

その為に私は五十嵐さんにお会いしたいです。

宜しくお願い致します。

 

平成二十七年 七月吉日
三浦太鼓店 六代目彌市

 

———————————/

 

はじめてお会いしたあの日、

たった一枚だけ

私がこっそり撮っていた五十嵐さんの写真。

 

後ろ姿のこの一枚だけ。

 

まさか、

この日が最初で最後の出会いになるとは、、、

 

人生とは本当に無情です。

 

 

ただ、

五十嵐さんからもらった

たくさんの「希望」は
今わたしたちの「未来」へとつながっています。

時代は本当に
大変な状況がつづきますが

あらためて
自分自身これまでの事を

振り返る時間を作りながら
一生懸命 ただただ考える日々です。

 

これからも

これまでどおり変わらず精進します。

 

いつも
本当にありがとうございます。

 

あなたと
あなたの大切な人たちが

今日も笑顔で
元気でいられることを心から願っています。

 

 

今日もステキな一日を(^_-)-☆

 

この記事を書いた人

  • 三浦 和也(六代目彌市)

    三浦 和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

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