六代目ブログ

伝統発信ブログ

お知らせ

「愛ちゃん」からもらった沢山の「愛」

こんにちは、六代目彌市です(^^)

 

毎年恒例の東京展示会も

新たな会場東急ハンズで無事スタートし、

 

毎年恒例の小豆島、

ヤマロク醤油さんでの木桶復活プロジェクトへも

3年目の今年は、しゅん太丸を連れて

参加させていただきましたし、

 

毎年恒例の瀧山寺鬼祭りの

本番に向けて、松明(たいまつ)作りの

準備も始まりましたし、

 

先日1月25日をもって

無事39歳の誕生日を迎え、

今年も1つ年を無事に重ねることが出来ましたし、、

 

 

毎年、変わらず訪れる事がある

一方で、、、

 

平成は今年最後となり、

私は30代最後ですし、

親父も今年正式に2月の役員会で

事実上、「退職」という形になり会長職へ、、

 

 

変わっていないようで、

時は必ず誰であろうと均等に

流れていくわけで、、、

 

そんな大きな「流れ」を

毎年私はものすごく感じながら過ごしています。

 

そういう意味では

2019年はこの年を迎える前から

私にとっては大きな「節目」になる年だろうと

覚悟をしてたのですが、

 

そんな覚悟の矢先、

先代の妻であり

 

先代亡き後、

ずっと一人でこの三浦太鼓店を守り続けて来てくれた

婆ちゃんが他界しました。

 

大正12年11月3日生まれ

享年96歳でした。

 

本当に、いろんな思い出があります。

 

私は小さい頃、

当時、じいちゃんとばあちゃんが住んでいた

今の「三浦太鼓店」の3軒ほど奥の借家に生まれ

 

小学校に上がるまでは、

ここで生まれ育ったのです。

 

当時は、オヤジもサラリーマン

母もすぐ私の下に弟ができたこともあり

 

私はじいちゃんとばあちゃんに

良く面倒を見てもらってました。

 

そもそも、ばあちゃんは

新潟県旧高田市出身。

 

今は市町村合併で上越市となりましたが

 

そもそも、

なぜ?

 

新潟から岡崎へ「縁」があったかというと

ばあちゃんは9人兄弟の末っ子で、

 

ばあちゃんのお姉さんが

草津温泉の「菊水荘」という旅館に嫁いで、

 

そのお姉さんの旅館の

お手伝いにたまたまばあちゃんが出掛けた時、

 

当時、

岡崎の一大産業であった「がら紡」の

会社役員さん達が草津温泉まで旅行に来ていて

 

岡崎は良い所だぞ、

岡崎は仕事がたくさんあるぞ!

 

そう言って

今の滝町にあった「がら紡」の会社へと

務めることになり、

 

ばあちゃんはじいちゃんと知り合ったのです♬

 

ばあちゃんが、この岡崎に来た時、

今の三浦太鼓店の場所は現在の六供町ではなくて、

「二七市」でも有名な連尺通り「八幡町」という所にありました。

いろいろ遺品を整理してたら

生まれたばかりのオヤジを抱っこする

ばあちゃんの写真が出てきたんですが、

 

私も八幡町時代の三浦太鼓店を

これまで一度も見たことがなくて、

 

はじめて、この写真が出てきて

感動したんです♬

 

そこから、

三浦太鼓店の商売は

おじいちゃんが病気ガチだったこともあり

 

厳しい時代が続き

親父が高校へ進学と同時に今の

六供町へと移り住んだそうです。

 

私がこの三浦太鼓店の仕事を

手伝うようになって、

喜んでくれていた反面、その大変さを

誰よりも知っていたのもばあちゃんでした。

 

いつも、この6畳の畳の真ん中に

ばあちゃんの「こたつ」が置いてあって、

 

仕事をはじめた当時は、

そのこたつの脇で私は仕事をしてました。

 

昔の人だったので、

まぁ頑固なところが多々あって( ;∀;)

 

私が仕事をはじめて、

一緒に過ごす時間が長くなればなるほど

 

たくさんぶつかり合った事もありました( ;∀;)

 

それでも、

商売人の嫁。

 

お客さんへの対応は

本当にすばらしくて、、

 

いつも笑顔でニコニコと

誰にでも優しく声をかけ、

 

お客さんが来店されたときは

かならず姿がみえなくなるまで

お辞儀をしなさいと教えてくれたり、

 

じいちゃん亡き後も、

仏さまを本当に大事にしていて、、

 

庭で育てた花を毎日、

積んできてはこうして活けて、、、

 

神仏を大切にする「心」を

その背中で教えてくれる人でした。

 

ありがとう、ありがとうが口癖で、

 

そういうばあちゃんの背中を

誰より近くで見て育った私は

 

私はやっぱり毎日仏様に手を合わせるように

なりましたし、

ありがとう、ありがとうが口癖になってます。

 

三浦太鼓店に嫁ぎ

新潟から遠く岡崎で生きる中で、

 

お客様への感謝の心と

神仏に対する感謝の心を

いつも忘れない人でした。

 

 

八幡町時代から、今の三浦太鼓店へ移り

じいちゃんもばあちゃんも居なくなってしまった今。

 

親父も、退任するタイミングも

重なっている今だからこそ、

 

大きな「節目」を感じずには

いられないのです。

 

時代と共に、

三浦太鼓店の環境も時代も大きく変わりました。

 

生まれ育ったこの場所は、

私にとっては今住んでいる自宅より

愛おしい場所です。

 

けれども、

ずっとこの場所にこの先も

居続けることは、きっとないのだと感じてます。

 

じいちゃん、ばあちゃんにも

じいちゃん、ばあちゃんの時代と場所があったように、

 

私にも私の時代と場所があるのです。

 

葬儀の最後には、

親子三代と今の従業員たちと一緒に

感謝の太鼓の演奏を天国のじいちゃんとばあちゃんに向けて届けました。

 

一つの時代の終わりは

新しい時代の幕開けと言いますが、

 

平成最後で30代最後で、

親父も退職するタイミングで

ばあちゃんが亡くなり、、

 

すべては次の時代へと

変わっていくんだと「覚悟」を持つ

タイミングなのかなぁと、とても感じているんです。

 

三浦愛。

ばあちゃんの名前です。

 

たくさんの「愛」をいただき

感謝します。

 

みなさんにも生前はひとかたならぬご厚誼にあずかり、

こころより感謝いたします。

 

今後とも三浦太鼓店を

どうぞよろしくお願い致します

この記事を書いた人

  • 三浦 和也(六代目彌市)

    三浦 和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

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