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【過去から学び未来を創る♬第四章】究極の太鼓璨-SAN-

【過去から学び未来を創る♬第四章】
~温鼓知新という生き方♬~

  

いよいよ物語りは第四章へと進んでいきます。
  
五十嵐さんからの大切なバトンをつないでいただいた
物語りは、今回の第四章、最終章で幕を閉じますが
 
さらにそこからつながる
物語りへとつづいていきます。
  
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第四章 「憧れた背中、新たなる決意」

  
こうして私は、秋田の師匠・五十嵐さんと
愛知の師匠・永谷さんのおふたりから学んで、
 
自分で桶太鼓の桶を作るようになりました。
  
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とはいえ、まだまだお二人の足元にも及びませんし、
今もなお自分の理想を追い求めている最中。
 
勉強、勉強の毎日です。
 
2018年、夏の気配が近づき始めるころ、
五十嵐さんの奥様にこんなことを言っていただきました。
  
「三浦さん、お父さんのように秋田杉を
原木から買い付けてみませんか?」
  
秋田杉の原木を見て、自分で選び、買い付ける。
 
全く初めてのことでした。
 
自分の太鼓に、
これまで以上の責任を背負うことになるのです。
 
けれどその不安よりも、
これでまた五十嵐さんに一歩でも近づけるという
喜びが勝った私は、
 
二つ返事で秋田へ飛びました。
 
競り会場には、さまざまな樹齢の秋田杉の丸太が並んでいました。
  
2019年10月21 秋田原木3回目_191023_0030
  
太鼓作りで普段から木材は見慣れていますが、
こうして原木を前にすると、本当に圧巻。
 
しばらく声も出ずに、
少しずつ異なる表情の丸太を、じっと見比べていました。
 
正直なところ、
木の良し悪しなんてこのときの私にはわかりません。
  
しかし、これも経験です。
 
五十嵐さんのように、自分の作るものに最初か
ら最後まで責任を持つために、
今はひたすら経験を重ねていくのです。
 
「お父さんなら、きっとこんな感じのものを選ぶはず。
こっちなら、このあたりを使うといい太鼓になると思いますよ」
 
いろいろと見て回り、
最終的に奥様が見初めたのは樹齢100年にもなる秋田杉。
 
私が生まれるもっと前から、この木は秋田の地に根ざし、
大地のエネルギーを吸収して育ってきたのです。
  
2019年10月21 秋田原木3回目_191023_0101
 
それを私が太鼓にするのだと思うと、
緊張と希望の入り混じる、複雑な思いがしました。
 
買い付けた秋田杉はいったん加工場へ運び込まれ、
そこで製材にしていただきます。
 
数か月乾燥させて中の水分を抜いて、
太鼓作りに適した素材にしていくのです。
 
そうしてようやく出来上がった秋田杉の板が、
私のもとに届きました。
  
人生_200426_0007
  
これを仕立てたら、どんな太鼓になるのだろう。
  
どんな音がするのだろう。
 
その形も音も、作るのは私。
 
そこには、五十嵐さんとその道具たち、
永谷さん、五十嵐さんの奥様、私のご先祖様たち…。
 
たくさんの思いがかかっているのです。
 
自分で仕入れた秋田杉の木材を眺めながら、
「これで作る記念すべき第一号の桶太鼓は、
五十嵐さんのもとにお届けしよう」と思いました。
  
天国の五十嵐さんや、
いつも側でお仕事を見て来られた奥様が、
 
どんな反応をするのか、それを思うと作る前から不安もありましたが……。
 
一度憧れたあの背中を、
ずっと追い求めていきたいという思いに変わりはありません。
 
追いつくことが重要なのではなく、
追いつく努力をし続けること。
 
そして、周りの人にそんな背中を
見せ続けることがなにより大事なのだと、
 
少しずつ分かってきました。
 
だからこそ人生は、学びも努力も、永遠に続け
ていかなくてはならないのです。
 
そして私は新たな決意をしました。
 
それは、五十嵐さんが目指した”究極の桶太鼓“を
作ることでした。
  
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最終章 究極の桶太鼓「璨」への挑戦

秋田の伝統工芸士だった五十嵐さんには、
その職人人生をかけてでも最後に作りたかった太鼓がありました。
 
ある日奥様から送られてきた手紙で、
その事実を知ることになるのです。
 
「お父さんは病気が悪化して、入院して、
身体が思うように動かなくなっても、
最後の最後まで職人として生き続けた人でした。
 
そんなお父さんが、人生をかけて挑戦した
かった究極の太鼓があるのです。
  
私はまだ見ぬその太鼓に『璨(さん)』と名付けました。
  
玉の光輝くさまを表現したこの言葉は、
いわば”美しさのきわみ“。
  
お父さんが最後の最後まで夢に思い描いたこの太鼓を、
私は三浦さんにいつか作ってもらいたいのです」
 
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究極の桶太鼓「璨」。
  
私に作れるのだろうか、というのが率直な感想でした。
 
しかし、
想いも道具も受け継がせていただいた以上、
 
同じ職人として絶対に成し遂げたい。
 
いや、成し遂げなくてはならないと思うようになったのです。
 
いつしか、五十嵐さんの思い描いた
「究極の桶太鼓を作る」という夢が、
 
私の夢へと変わっていきました。
 
こうして始まった、私の新たな挑戦。
「璨」という太鼓を作るにあたって、
三つの条件をつけることにしました。
  
一つ目は、
自分の目で見て感じた原木で作ること。
  
五十嵐さんの桶作りは、自分の目で確かめた
原木を仕入れるところから始まっていました。
 
すべての責任を人のせいにしないという、
ものづくりに対するまっすぐな姿勢こそが、
とにかく「職人」としてかっこいいと思ったからです。
  
二つ目は、「本物」であること。
五十嵐さん亡き後に、奥様に聞いたことがあるのです。
  
「『本物』ってなんなのでしょうね。いつも、
五十嵐さんが作ってくださる桶を見るたび、
その美しさ、その音に感動するばかり……。
  
これこそ『本物』だと感じていました。
 
どうしたらこんな桶が作れるんでしょうか」
 
「三浦さん。『本物』とは、人の心に届くこと。
そこに言葉など何もいらないんですよ」
  
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それはまさに、私がいつも五十嵐さんの桶から感じていることでした。
  
決して言葉で伝えてくれるわけではないのに、
 
そのものからあふれるエネルギーがあるのです。
 
私が目指す桶もいつかそうでありたいと思うのです。
 
そして三つ目は、
五十嵐さんの想いがこめられていることです。
 
五十嵐さんは、
無垢の秋田杉に天然塗料をさっとひと塗りするだけで完成する、
しっとりと美しい肌のような桶を目指していました。
 
それならばと思い立ち、
秋田杉で作った桶に地元岡崎の油屋さんが作る
 
「荏胡麻油」を塗ってみたところ……。
 
これが驚くほどの艶を放ったのです。
言うなれば、「秋田美人」のようなつややかな肌。
 
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究極の桶太鼓を成り立たせるために、
この油を使うことに決めました。
  
こうして、秋田杉の原木の仕入れからおよそ一年。
 
三つの条件を満たした「璨」の第一号が完成しました。
 
今はまだ、自信を持って「これが究極の桶太鼓だ!」
とは言えません。
 
けれど、
2016年から自分で桶を作るようになって、
 
迷って悩んでばかりいた当初に比べたら、
少しずつではありますが、
 
自分の思いを形にできるようになってきました。
 
私はいつか、必ず「璨」を世の中に出してみせます。
 
「璨」はようやくスタートラインに立ったばかり。
人の心に届くような「生きた音」を鳴らす太鼓を作り続けたいと思っ
ています。
 
師匠と紡いだ物語の、証として。
  
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秋田五十嵐さんとの物語は
ひとまずこれで幕を閉じます。
  
次回は続編【吉野杉との出会い】を
お届けします♬

ひきつづきお楽しみにくださいね♬

今日もステキな一日を(^_-)-☆

この記事を書いた人

  • 三浦 和也(六代目彌市)

    三浦 和也(六代目彌市)

    (昭和55年1月25日岡崎生まれ。AB型。和太鼓零〜ZERO〜代表)
    和太鼓と嫁に年中夢中!
    実は、長男ではなく次男坊。幼い頃は太鼓も親父も嫌いだった私が太鼓に目覚めたのは24歳の時。
    敷かれたレールが目の前になかったからこそ、今描ける野望は和太鼓を通して、世界を救うこと!4人の息子たちもみんな太鼓打ち!受け継いだ大切な「伝統」を後世へとつないでいきたいと思っています。

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