六代目ブログ
伝統発信ブログ
和太鼓 -零-
太鼓職人がなぜ太鼓を叩くのか?
こんにちは、六代目彌市です(^^♪
昨晩は、ここ数年毎年のように
出演のご依頼をいただいています
日本生命さん主催~お客様感謝の集い~
にご縁をいただき、演奏してまいりました!
演奏の方は、
今年も残すところあとわずか!
と、なってきたんですが
今年も全国各地♬
さまざまな場所で演奏活動させていただいてきました!
今日は、
来年で結成15周年を迎える零~ZERO~が
なぜ?生まれたのか?
また、
これもお客様からよく聞かれるんですが、
三浦さんは太鼓演奏者なのですか?
太鼓職人なのですか?( ;∀;)
確かに、演奏活動もめちゃくちゃやってますし、
太鼓作っているイメージより
ステージに立っているイメージのが先行してたり( ;∀;)
そもそも、いち「太鼓職人」が
なぜ?太鼓を叩くのか?
全国各地にあります太鼓屋さんの中でも
実は私たちのように太鼓職人が太鼓を叩くなんてことは
とても珍しい事なんです♬
そんな中、私が
零~ZERO~を創設したその理由を
書きたいと思います♬
ズバリ!
最初に答えを言ってしまうと
これなのです↓↓↓
自分の作る太鼓の「音」に自信をもちたかったから、、、
私がこの仕事を継ぐと決めたのは
今から19年前、
ちょうど今のカネゴンと同じ19歳の時でした、、、
もう少し正確に言います。
正確には、「継ぐ」と決めて
三浦太鼓店に入ったのではなく、
次の仕事を探すあいだに、
太鼓屋の仕事を手伝いながら
次なる働き口を探していこう、、、
と、
そんな中途半端な気持ちで
私はこの世界に足を突っ込みました。
ここには、
当時の世の中の時代背景があったんです♬
実は、
私のおじいちゃんや五代目親父の時代というのは
「太鼓屋」さんの仕事というのは
地元のお祭りで使う太鼓や
神社とかお寺で使っていただく太鼓がほとんどでした。
いわゆる「伝統芸能」というやつです♬
みなさんの地域にもそういう地元の「祭礼」って
少なからずあるとは思うんですが、
地域の「祭礼」行事って
毎日やっているわけじゃなくて、
1年に1回とか、、、
限られた時期に限られた時間しかやりません。
そして、当時は
今のような世界中がつながるようなネットなんていう
ツールも当然なかったので、
三浦太鼓店のお客様は
三浦太鼓店から近くに住んでいる地域の方々だけ、、
広く言っても「三河地方」の方々に住んでいる
方々が私たちのお客様だったんです。
・年に1回しか使わない
・地域も限られている
そして、
ただでさえ需要もニーズも狭い世界の中
じいちゃんの時代で言えば
「戦争」だったり、「伊勢湾台風」だったり
この地域のもこうした大きな
出来事があって、
祭りそのものが、なくなってしまったりして
私達の仕事というのは
どんどん厳しいモノになっていったんです。
よって、
五代目の親父は私達が子供の頃は
サラリーマンをしながら
かろうじて土日の休みの日に太鼓屋の
仕事を繋いでいる、、、
そんな状況だったんです。
だから、物心ついた時
親父の印象は「太鼓職人」じゃなくて「サラリーマン」
サラリーマンをしながら、
なんとか土日の休みを使って
地域のお客さんのために
仕事をつないでいる、、、
そんな状況でした。
だから、
私には1つ上に兄貴がいて、
3つ下に弟がいるんですが、
大きくなって私達もそもそもが
「太鼓屋」になるという選択肢が当然なく、
兄貴も弟もサラリーマン。
実は、私も高校卒業後に
地元企業に普通に就職してサラリーマンをしていたのです。
そんな中、
私ひとりだけ、世の中の「社会」というやつに
うまくなじめずに( ;∀;)
とにかく、会社がやめたくなってしまったんです( ;∀;)
親父に、ただ単純に「会社」がやめたい、、、
そう言っても許してもらえないって
思ったので、
「太鼓屋」の仕事を手伝うから
会社をやめさせてほしい、、、
そう頼み込んで、私はこの道に
進むことになったのです。
正直、当時は
太鼓が好きなわけでも興味なかったし、
平日は親父はまだ当然
サラリーマンしてましたので、
土日に親父がいるときに
太鼓づくりを教えてもらって、
平日はコツコツ一人で
言われたことをこなすだけの日々、、、、
正直当時は、
太鼓屋の仕事を手伝いながら
ずっと次なる道を探してました、、、、
そんなモンモンと
する時間を過ごしていく中、
ある時ふとご来店された
お客さんにこう言われたんです。
お兄ちゃん若いねぇ
お兄ちゃんも若いから当然太鼓叩いてるんでしょ!
その時の瞬間の記憶は、
今でも「鮮明」に残ってます、、、
当然当時はまだ太鼓のバチすら握ったことがなく、、、
親父から教えてもらった事を
こなすだけの日々、、、
「道具」や「技術」、「伝統」があれば
教えてもらった事を「太鼓」という
カタチにすることはできる。
でも、
ほら太鼓って「カタチ」が作れたらゴールじゃないんです。
その先にある「音」を
知らなければ、自分の作る太鼓に
自信なんて持てなかったんです。
その瞬間私は決意しました♬
よし!
太鼓を叩いてみよう!
それが、2004年
私が24歳の時、
太鼓を作りはじめて5年が経った頃でした。
零~ZERO~結成です(^^♪
これが、人生の「分岐点」♬
ちょどこの頃、
世の中の太鼓を使うという「文化」に
これまでの地域の「祭り」や「伝統芸能」という枠だけじゃなくて
あらたに「楽器」としての
広がりが全国的に広がっていて、
これまでと同じ「和太鼓」であることは
変わらないんですが、
使う場所や使い方が変われば
当然、太鼓も
求められる「音」や「ニーズ」が変わるはず、、、
そんな想いもあって
新しい時代に求められる「音」を知るためには
まずは、自分がその世界の事を
知らなければ太鼓なんて作れない、、、
そう思ったんです。
今、振り返ってみても
これが本当に人生の「分岐点」でした♬
太鼓を叩くようになって、
一番変わったことは、
実は、太鼓の「音」が
より深く分かるようになったことじゃなくて、
自分自身が、
太鼓のことを心から「好き」になったことだったんです(^^♪
それまでは、
本当に太鼓に興味もない、、、
親父から
教えってもらったことをただこなすだけの日々、、、
たまたまご来店された
たった一人の人の、
何気ない一言が、
人の人生に影響するってこと
あるんですね~( ;∀;)
きっと、あの時あの人が
私に声をかけてくれてなかったら、、、
零~ZERO~もなかったし、
零~ZERO~がないってことは
その活動の中で生み出してきた
色んな太鼓だって当然なかったし、、、
生み出す太鼓がなかったら、
世の中と三浦太鼓店との「接点」も
当然生まれなかったはずだから、
今、こうやって
太鼓屋一本でたくさんの従業員といっしょに
太鼓を作れている環境すら
きっとなかったと思うんです。
人生って本当に不思議ですね( ;∀;)
自分の作る太鼓の「音」に自信をもちたかったから、、、
改めて、私が演奏を始めた理由です♬
そこには、
「伝統芸能」という小さな枠から
飛び出した新たな「創作和太鼓」の世界に
お客様がどんなモノを求めているのか
どんな「音」を求められているのかという
「ニーズ」を知りたいという想いが根っこにありました♬
でも、
やっぱり「職人」も「演奏」も
続けていくことは大変で、、、
時々、こんな私でも
演奏に疲れてしまうことだったり
演奏に迷ってしまうことがこの15年の中には
当然ありましたが、、
人に恵まれ、
出会いに恵まれ、
ご縁に恵まれ、、、
様々なコトに恵まれ支えていただきながら
三浦太鼓店も零~ZERO~も
今なお、こうして皆様のお役に立てているのかなぁと
思ってます(^^♪
だから、
これからも太鼓づくりに演奏活動に!
昨年からあらたにスタートした
祭りそのものを作っちゃおう!という
「味噌六」作りに、、、
いろんな事チャレンジして行こうと思います♬
そうそう!
昨日の日本生命さんでの演奏後に告知させてもらったんですが、
来年3月に地元岡崎でこんなライブ企画してます↓↓
最近、零~ZERO~は
零~ZERO~チューブなる、
YouTubeチャンネルを開設してまして!
みなさん見て頂けてますか( ;∀;)
この零~ZERO~チューブに
チャンネル登録いただけましたら
入場いただける、
「チャンネル登録者限定ライブ♬」
なるものを企画してます( ;∀;)
みなさん、ぜひ
チャンネル登録してくださいね♬
普段の演奏ではあまり見れない
ありのままの零~ZERO~をyoutubeでは
表現してますから( ;∀;)
違った角度で楽しんでもらえるのでは
と思ってます~
さて、
今日は少し寒さがありますかね~
寒暖差が激しいので
みなさんお身体、体調管理にお気をつけて
今日もステキな一日を(^_-)-☆
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